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 平成21年(2009)卯月(4月)10日(金)

 前日まで微熱があったので、今日のフロンティア3000研究会は欠席。
 コナモン協会の熊谷真菜ちゃんが、関西のコナモン御三家について話してくれることになっていたのだが、申し訳ない。

 平成21年(2009)弥生(3月)13日(金)

 フロンティア3000研究会の前に、朝日新聞の「昭和史再訪」のための取材を受ける。EXPO70について聞かれた。彼もわたしのファンだと言うことで、会えたことを喜んでくれた。
 今回は、久しぶりに大中さんが西表島での生活について話してくれた。きれいな写真と、停電に備えて食事を作っておくことや、停電時の静寂が心に残っている、という話が印象的だった。

 平成21年(2009)きさらぎ(2月)22日(日)

 千里阪急ホテルさくらラウンジで、『小松左京マガジン』33巻のための取材を受ける。

 平成21年(2009)如月(2月)13日(金)

 フロンティア3000研究会、堀江珠喜女史の「悪女のススメ」ということで、いつもの新阪急ホテルバー・リードへ。
 狭い個室なので、彼女の目の前にいると、彼女の迫力と服の赤い色に、目が痛い様に感じるので、オトベちゃんに席を替わってもらう。斜めから聞いていれば、学術的にも大変おもしろい話だった。

 平成21年(2009)睦月(1月)29日(木)

 午前中はホテルの部屋で読売新聞の「生老病死」のインタビューを受ける。記者はわたしのファンだと言うことで、ツッコミも深く、結局2時間くらいも話してしまった。そのあと、イオの新事務所に行く。志満金の鰻の折り詰めをとり、それをもって新幹線で帰阪。帰りは杉本くんがついてきてくれた。彼は大阪事務所にいたことがあるので、久しぶりに女房にあって、喜んでいた。無事帰宅できて、やれやれ。
 やっぱり、お尻が相当痛くなっていた。

 平成21年(2009)むつき(1月)28日(水)

 わたしの78回目の誕生日と新年会をかねて、1年ぶりに東京へ。
 林くんが大阪まで迎えに来てくれ、オトベちゃんと一緒にホテル・ニューオータニまで連れて行ってくれた。飛行機の方が楽ではないか、といわれたのだが、新幹線の方にする。しかし、やはりお尻が痛くなるので、ときどき起こしてもらって座り直す。もっと良い椅子にならないかなぁ。「さよならジュピター」のウェッブ総裁の様に、宙に浮いていられるとよいのだが。
 オータニに着いてすぐ、『小松左京マガジン』第33巻の編集長インタビューとして小谷真理ちゃんと対談。可愛いブーケをもってきてくれた。
 夜は新年会。一年ぶりになつかしい友人たちと会う。嘉門達夫が新妻を連れてきたり、なんだかんだと50名以上来たのではないかな。わたしは、パジャマに着替えて、時々ベッドに横になって身体を休めながら、またパーティに参加する、ということで、勝手をさせてもらった。

 平成21年(2009)睦月(1月)9日(金)

 今年最初のフロンティア3000研究会は、新阪急ホテルのバー・リードで京都大学博士課程の赤上裕幸くんが、昭和初期に日本で発行された水野新幸の『映画教育』を中心に「期待のメディア史」を報告。さすが博士課程。充実した内容で、大変おもしろかった。