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 平成17年(2005)師走(12月)17日

 イオに戻って、「沈没」のプロモーションの会議。
 今回の映画では、興行収入の一部を子供達のために寄附することにしているそうだ。33年前の時には、最初はこれだけ入るとは思っていなかったのだが、2年連続の興行収入第1位になったので、東宝から消防署に高層ビル用の消防車を寄附させた。今度も、なにかの役に立つことができれば、幸いだ。若者達が、一生懸命、映画のために面白い企画を考えてくれている。有難いことだ。
 あわただしく、東京駅への向かい、大阪へ帰った。

 平成17年(2005)しわす(12月)16日

 イオの忘年会は、いつものようにホテルニューオータニのスウィートルームをかりて、延べ50人くらいが来たのではないだろうか。
樋口監督が午後10時過ぎに来てくれて、朝4時頃まで居てくれた。編集作業から直行できたらしい。私は、今年は朝3時頃まで付き合うことができた。嘉門達夫も来てくれて、嬉しかったよ。

 平成17年(2005)師走(12月)15日

 東京へ。
 小学館の文庫担当編集者が来たので、「日本沈没」にサインして渡す。一色さんの漫画第一回分のゲラをいっしょに見る。なかなかの力作で、これからが楽しみだ。

 平成17年(2005)しわす(12がつ)9日

 昼間は、美々卯の薩摩さんが主催の食事会。ジャーヌ・コビーも参加して、美味しいチーズとワインを見繕って持ってきたが、私は日本酒でできあがってしまったので、早めに切り上げて、乙部ちゃんと合流。新阪急ホテルアネックスで、一休みする。夜は、大阪の忘年会なのだ。
 フロンティア3000研究会の忘年会は、いつものように、カラオケルームをかりて、賑やかに歌三昧。ダブルヘッダーでも、何とか保ってよかった。


 平成17年(2005)師走(12がつ)1日

 今日は、19日の久保(修)ちゃんのパーティに出席できないので、発起人としての挨拶をビデオで収録。
年賀葉書に二年連続で表のデザインが採用されたとのことで、これはめでたいと、ホテル西洋銀座で盛大に祝うのだそうだ。私も出席したいところだったが、そうもいかないので、収録となった。
 一発オーケーで、大阪へ帰る。