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《2004.1.7より》

★仙台の伊藤です。
 今回発生したチェチェン独立過激派の小学校占拠事件の悲惨な結末が次々に伝えられる状況に、小松さんは、読者の皆さんはどのような考えをお持ちでしょうか?あまりの悲惨さに目を覆っていることが出来ずに意見を述べさせて頂きます。
 昭和56年発行のショート・ショート集『一宇宙人のみた太平洋戦争』のあとがきに、土屋裕氏が述べておられますが、小松さんは本業のSFから離れて、政府系・役所系の仕事に勢力を傾けられており土屋氏は残念である旨が述べられています。
 私はこの土屋氏の一文に対して非常な嫌悪感・身勝手さを感じます。土屋氏が考えておられるように、小松さんのSF作品や社会的な活動は、もはや一SFファン
の慰み物ではない状況であると思うのです。
 戦時中を生き延びていらした小松さんの根っこには『戦争体験』がまぎれもなく重要な位置を占めているとご本人もおっしゃっています。過去の戦争を体験してきて、なおかつ未来への鋭い推察を有している小松さんは、単なる一SF作家であってはならないと思います。小松さんにとって、ご高齢・康上の制約は多大なる負担である事は百も承知で申し上げたい。
 日本のみならず全地球的規模での『戦争』の問題に関わり続けて頂きたいと思うのです。現在の小松さんの社会活動の状況を知りもしないで、勝手なことを申し上げている事を百も承知でお願いします。
 私は高校生時代に小松さんの本を読んで、『地球連邦』の実現や、『哲人政治』ならぬ『SF作家政治』などを夢想していいました。実社会に出てそのような理想は粉々に消し飛んでしましましたが、今回の小学校占拠事件に際して、世界の様々な問題に対してSF界はもっと解決の糸口を提示していけるような気がするのです。
 仕事から帰ってきて午前4:40です。頭が回りません。読むに耐えない雑文になり ましたことお許しください。
   2004/09/04 伊藤

★仙台の伊藤です。
今年の4月のことでしばらく前の事になりますが、科学雑誌『ニュートン』編集長の竹内均先生がお亡くなりになりました。もう17年も前の事になりますが、そのころ私は学生で地球科学を専攻していました。そのころは既に竹内先生は東京大学を退職され、『ニュートン』の編集長をなされていました。
その17年前私が学生の時に、竹内先生が私の学科で特別講義をおこなってくださり、私は胸弾ませて講義に聞き入ったことが懐かしく思い出されます。竹内先生はテレビで拝見するそのままにエネルギッシュにご自分の夢を語られていたことが印象に残っています。(私達の仲間内では、先生の事を"竹均!(たけきん!)"とお呼びしていました)

小松さんの読者の方は周知の通り、映画「日本沈没」に、竹内先生はご本人役で出演されています。
その頃から小松さんとは親交があったと伺っています。
15年以上前になると思うのですが、竹内先生はNHK教育テレビの、高校生 物理講座の講師をなさっていた時期がありました。そのなかで、「閑話休題」のようなお話で小松さんの博識ぶりに驚嘆したと語られていました。たとえ話をし、小松さんの頭の中にはあらゆるジャンル別に情報のタンスが存在し、その中身たるやその道のプロ顔負けの情報が詰まっている。未だかつてそのような人物を私はしらない、と話されていたことを思い出します。
小松さんも、竹内先生が亡くなられて寂しい思いをなされたのではないかと推察いたします。

小松さん原作の映画では、「日本沈没」ははっきり言って出来は良くなかったと思います。
映画「首都消失」は評価するに値しません。
映画「復活の日」は最高の出来です。
また、シナリオ版「復活の日」は、シナリオとはいえ、原作及び映画をも凌ぐ出来栄えだと思います。
みなさんもご一読あれ。
   2004/8/14 仙台の伊藤

★ 街路灯のすぐうえに金星、そのまたすぐうえに三日月、よく晴れ渡った夜空、ただいま午前4時過ぎ、仕事が忙しい。投稿が少ないね。あしたも暑い。今夜は「オデュッセイアー」を読みながら寝る。夢で「彼」に会うために。ごめん。
 暑中お見舞い!
   2004.8.11 Hattori

★ 本日、『小松左京マガジン』第15巻が届きました。ありがとうございます。次号、第16巻の編集長インタビューでは角川春樹氏がゲストとのこと! とても楽しみです。あぁ、言葉にならない。
  2004.7.26 Hattori

★札幌の木島と申します
楽しく小松左京さんの作品を読んでいます。
「虚無回廊」 ワクワクして読みました。
まだ完結ではないですよね。
続編、心待ちにしています。
早く、読みたい気持ちで一杯です。
  2004.5.9

★私は現在仙台市在住の38歳の会社員です。高校時代に小松さんの作品を読みあさりました。ハードSFから文明批評・日本史・世界史、果ては古典落語・文楽まで小松さんの作品の幅の広さには正直驚きました。特に文明批評、日本史に関する作品群には興味を持ち、その系統の作品には注意を払ってきました。
 そこで以前より気にかかってきたことがあります。
 これらの作品群では、京都・大阪など上方を中心にした視点がほとんどであり、私が仙台在住ということもあり、関東以北とりわけ東北・北海道を題材にした作品がほとんど見受けられないということに、これらの地域を軽んずる傾向が小松さんにあるように感じられます。
 有体にいえば、近畿地方に興った(正確には輸入された)弥生文化を肯定し、それ以前に日本全土、特に九州・東北・北海道に根付いていた縄文文化を否定している様に私には感じられるのです。
 大分前になりますが、故元サントリー佐治会長の「東北の熊襲は文化程度が低い」と発言したご本人の文化程度を露呈する出来事(正しくは熊襲はではなく蝦夷)に代表されるような、上方文化至上主義のようなものを小松さんにも感じざるを得ません。
小松さんの東北・北海道に対する考え方を著した作品をご存知の読者の方、是非ともお教えください。
 上方で活躍されている作家・学者では、故司馬遼太郎氏、梅原猛氏などが、東北・北海道に関する著作を数多く著わしてしています。これら各氏とは小松さんは交流があったのでしょうか?もしこれら各氏と交流があったならば、小松さんの認識も変わっていたのではないかと考えます。
 小松さんの読者の方はどのように考えますか?
 お考えを拝聴致したく。
 尚、小松さんの作品で私の一番のお気に入りは短編では『再建』、長編では『果てしなき流れの果てに』です。どちらも高校時代に読み、私のその後の私の人生に大きな影響を与えた作品です。
    2004/3/19 仙台の伊藤

★  鳥インフルエンザが、アジアを中心に猛威を振るっています。先日は中国でアヒルの大量死。このニュースを耳にした時、「復活の日」の一説が、すぐによみがえりました。1964年の作品です。本棚から引っ張りだして、今読み返しています。
 未来を語ったSF小説に登場する年代が、「遠い過去の年代」というのは少々不思議な気持ちなんですが、当時の若かりしころ(?)、胸躍らせて読んだ感動と少しばかりの恐怖を思い出しながら、ページをくっています。
 原因は別の議論として、日々の報道は深刻を増す一方です。時々現実の報道と、作品の中の話とが頭の中で混同してしまい、あらぬ恐怖感を感じるときも・・・・。作品の中で、大量のアヒルの死骸が川を流れていく様子を見て老人が叫びます、「これはわるいことの起こる前触れだ。・・(中略)・・。もっとひでえことになるだよ。わしはしてっるだ・・・・」。どうかこれが、的中しませんように・・・!!
  初めての投稿です。  2004.2.8 宝塚のFkchan 

★ 間違えて「クラクタル」などと書き損ない、気にしていたのですが、知らぬ間に「フラクタル」と正されていて、ほっとしています。いつも発作的な投稿をしてしまうもので、お手数をお掛けしてしまいました。ありがとうございます。今回は大丈夫かな。
 さて、『渚にて』は最後の一行まで「幸福感にひた」りながら読み終えました。引き続いて『教養』を読み返したところです。これで三回か四回目になりますが、読み返すたびに、高千穂氏の「苛立ち」のようなものに、他人事ではない強い共感を覚えます。そして、もっと言って欲しいと思うのです。是非、『教養』のつづきをお願いいたします。『小松左京マガジン』でシリーズ化されたら最高ですが。
 高千穂氏の粘りに感謝ですが、鹿野氏もすごい人だなあ。息子にも読ませます。
   2004.1.12 Hattori

★ 明けましておめでとうございます。
 こちらこそ、よろしくお願いいたします。
 ことしは、6日に大阪 ローカルですが「上方倶楽部」という生番組の出演が仕事始めで、暮れからバタバタしておりました。小松家の猫のビデオ撮影をしたいというのですが、小松家の猫はご存知のようにとびきりな人見知りで、他人の気配を感じただけでみんな外へ行ってしまいます。飼い主もじつは「シャイ」なので飼い主似なのですが。結局カメラを預けてられて、奥様が撮影なさいました。番組で書いた色紙も、「幸せは 夕餉晩酌楽しみつ 猫を数えて みんな居るとき」というもの。
 猫によって、ずいぶん助けられています。
 今年もよろしく。佳い年になりますよう。
   2004.1.8  事務局

★ 新年、明けましておめでとうございます。
 立体のフラクタル構造が(小生の理解が間違っていなければ)一種の遅延回路として使える、とのニュースが新聞の一面に載っていました。そうか、なるほど、素晴らしいアイデアだ! まさに21世紀初頭らしいニュースだと感動しました。A・C・クラークが「グランド・バンクスの幻影」で描いたあの無限の迷宮、M集合へとこころ誘われます。
 かつて遠い未来だった2001年も数年の過去となり、また新しい年を迎え、こうして新しい未来がやってくるのだと思うと、少し勇気も湧いて来ます。ここ数箇月の間、なんだか気が引けて小松左京事務所ホームページを拝見できないでいましたが、このニュースに力を得ての投稿、ごめんください。
 数日前からネビル・シュートの「渚にて」(1957)を読み返しています。何年か前、本屋さんで「小松左京推薦」のオビのついた本書を見つけ、昔読んだのはいつだったか訝りながらも一気に読み通しました。でも、今回は(情けなくも)最初のページで打ちのめされてしまいました。
 「少佐は幸福感にひたって目を覚ました」という何気ない一文で...。
 いまは、残りのページ数が減ってゆくのが惜しくて、味わいながらゆっくり読み進めています。別の意味での「幸福感にひた」りながら(ひとり言:これは、SFの、ひとつの力には違いない)。
 事務局様、今年もよろしくお願いします。
     2004.1.7 Hattori