2007年の投稿へ
2005年の投稿へ
2004.1.7〜2004.9.4の投稿へ
2003.2.5〜2003.9.17の投稿へ

2002.1.5〜2002.12.12の投稿へ
   
2000.5.19〜2001.10.13の投稿へ

《2006.1.29より》

・ 『SF魂』を読んでいたら朝になった。冒頭の「SFだましぃ」は「臥猪庵hic」の「コマツミノルダ」と同じノリで、うれしくなっちゃった。
 一晩たって、拙い投稿に事務局様からの応答が掲載されていた。「意味わからない」、そりゃそうですね。実は、この件のため、実弟と絶縁したところ、もとより「ぼろくそ」なんです。
 「面会」が最高のコミュニケーション手段であることに疑問の余地はありません。「面会での歪みを補正する機械」なんて、まさか! そんなことは考えてもいません。どうか、お願いです。
 五分類したコミュニケーション手段を送受信の観点(特に時間差)から整理して良く見ると、そこに、ちょっとした歪みが現存する、そして、その歪みは解決可能であり、実証もした、きっと便利になって喜んでもらえる、そう考えているだけで、あくまで技術的「論理」の問題です。なお、この件は「風景」とは無関係です。
 この「歪み」は「底辺未満」に住んでいてこそ見えてくる歪みなので、なかなかわかってもらえない。「歪み」という言葉を使ったのは、そういう意味もあります。たとえば、タバコ増税は「底辺未満」にとっては大きな「歪み」ですが、「底辺以上」にとっては単なる雑談のネタ程度。経済用語では、それを「逆進性」と呼ぶらしいですが、ならば、それは「歪み」ではないのか。まあ、そんなところです。いつもお騒がせして、すみません。
 さて、「SFだましぃ」に励まされ、再び、我が戦闘空間、言語複素空間をさ迷う。
    2006.7.26 Hattori

・ Hattoriさんのおっしゃる「ちょっとした歪み」というのは、物理的なズレということですか? 電子的なやりとりでの歪みを補正する機械を作ることは理解できますが、「面会」での歪みを補正する機械というのは意味がよくわかりません。
   2006.7.26 事務局

・ テレパシーを除く一般的なコミュニケーション手段を大きく五つに分けて、つまり、郵便、電話、ファクス、電子メール、面会の五つに分けて、それらの間でなされる「送信」と「受信」の関係を見てみると、ちょっとした歪みが存在する。困って解決策を探したが、なかった。なければ作れと実験機を作った。ものは試しと特許事務所に持ち込んだら、見込みがあると勧められ、勢いで出願した。よしゃいいのに、ビジネスプランまで持ち上げて、あちこちで話したら、ハゲタカ以外からは、それはもう、ぼろくそ! 孤絶を深める結果を招いた。「商標で押さえろ」と、特許事務所の先生に励まされ、もう数週間もの間、寝ても覚めても広大なる言語複素空間をさ迷い続けている。すでに数千個は考えた。そんな最中、ふと「底辺未満」という言葉が浮かんだ。「以下」ではなく「未満」。「未満」だから底辺を含まない。貧乏暇なし。生かさず殺さず。衣食足りて礼節を知る。どれだけ辛抱し努力しようと、「底辺未満」なのだから、底辺そのものが上限であり「天」であれば、その「天」に達するまでに無限のエネルギー(あるいは時間)が必要で、漸近は可能でも到達は不能。衣食足りてないもんね。正気を保つだけで精一杯。底辺未満、そう呟いたら楽になった。侘しいね。52だよ。
 ご心配なく。映画『日本沈没』の「デラミネーション」からの連想です。しかし、あのアイデアは凄い。もう一度、観に行きたい。
   2006.7.25 Hattori

・ 映画『日本沈没』を、つい2時間半ほどまえ、親子三人揃って見てきたところです。感動しました。ありがとう。生きてて良かった、とはこのようなときに使うのでしょう。原作や前作を読んだ人も見た人も、そうでない人も、これはもう「リメイク版」ではなく「21世紀版」と呼ぶべき、文句なし傑作だ! 大成功間違いない。おめでとうございます。ツバメも、そして、ひょっとして、あのネコ!?
 「映画館に行こう!」キャンペーンも好評につき継続(夫婦50割引、高校生友情プライス)。買い溜めしたタバコはなくなっていないのですが、蛍一匹、引っ込んでいられなくなり、またも投稿、ごめん。
   2006.7.16 Hattori

・ 『日本沈没』上下の文庫版が、筒井康隆氏の『時をかける少女』と仲良く並んで平積みされていました。『日本沈没』下の巻末に堀晃氏の「解説」が載っていたので、思わず立ち読みしました。『日本沈没』について、これまで書かれてきた文章のなかで「最高!」だと思いました。愛読者の一人として、いえ、SF読者の一人として、大いにしびれました! 「ナカタ過程」こそ、『ゴルディアスの結び目』の、あの問いと同じ意味において、ただの文学とは異なり、すなわち、SFなんだ。
 きょうは、頼んであった本(『天変地異の黙示録』)を受け取りに、スーパーマーケットに立ち寄って、その二階の本屋さんで受け取って少し店内をぶらついていたときのことでした。
 そのあと、一階で「玉子とじうどん」を食い、次にタバコの買い溜めに走りました。さすがに最終日で品薄。きょうは6月30日、ああ、今年も半分終わったのだなあ、いや、そんなこたぁ、どうでもいい! 明日から(あと数時間で)タバコ増税が始まるのです。
 ここは「読者の声」という場所です。買い溜めしたタバコがなくなるまで、私は引っ込みます。お騒がせ致しました。蛍一匹。
   2006.6.30 Hattori

・ 本日夕方、大阪でイラストの仕事をしている知人に電話をしたら、「何年振りだと思っているのさ、服部さん、もう5、6年だよ」と笑っていました。昨晩は、というより、本日未明には、東京に移り住んだ若き経営者から「怒涛の日々が続いております」というメール。なるほど、タイムスタンプが午前3時。返信を出したのが午前4時だから、ひとのことは言えたもんではありません。
 3月に着想を得てから103日。本日、特許出願完了。さて、どうするか。
 昨晩、というか、本日未明、仕事帰りの運転中、川沿いの路上で、右前方に光るもの発見。蛾か何かがヘッドライトの光を反射している? いや、違う。あの動きは...近づくにしたがい...やはり、蛍だ。通過後、右のサイドミラーで確認。午前2時2分前。数秒のできごとです。蛍一匹、ご報告まで。
   2006.6.28 Hattori

・ 映画『日本沈没』の公開日が迫ってきて、なんだか、そわそわします。「夫婦のどちらかが50歳以上なら映画鑑賞券が夫婦で2千円」という「キャンペーン」だかは今月でおしまいだそうで残念。でも、家族そろって見に行く!
 星新一氏が珍しく「解説」を書かれている本があります。矢野徹氏の『カムイの剣』です。星新一氏の「解説」は、次のように締めくくられています。

 もし、仲のいいかたがあったら、『カムイの剣』は面白いですよ、とすすめて下さい。いい本を教えてくれたと、あとでお礼を言われるのではないかと思います。

 『カムイの剣』は映画にもなりました。本も映画も大好きです。映画では、主人公の次郎とマーク・トゥエインの、つぎのような会話があります。

 「ありがとう、ミスター・トゥエイン。でも、どうして、わざわざ?」
 「君を見たとき、なぜか血が騒いだ。さっきの決闘を見て、その理由がわかったような気がする。産業革命以後、時間と空間の認識は一変し、銃と車輪は西部を塗り替えた。便利な道具がふえるほど人間は生き物としての原初の魂を見失うことによって、何か別の生き物に変質していくのかもしれない。君には失ってはならない何かがちゃんとある! 私は、それを呼び覚ます君に惹かれたんだ」

 産業革命を情報革命と置き換えるだけで、いまの、この時代にも当てはまるのではないか。宇崎竜童氏の音楽も素晴らしく、ウラカの住むコタンの、月夜の芒のシーンの美しさにはこころがふるえます。ラストシーンの冒頭で、映画『人間の証明』の象徴的なシーンがさりげなく...。
 最近の本では橘玲氏の『永遠の旅行者』(2005年7月)が傑作だと思います。すでに、もう三度、読んでしまいました。映画化されないのが不思議です。下巻の中盤で主人公は、ニューヨークのジャズクラブを出ます。

 空を仰いだ。エンパイアステートビルの明かりが雲を奇妙な色に染めていた。
 星は見えない。月もない。
 人々の欲望が吐き出され、雪のように降り積もっていく。
 いったいどうやって、この世界で生きていくことができるのだろう。
 なぜか、とめどなく涙が流れた。

 思わずうめき、ページをめくる手が止まり、本から目を上げた!
 『日本沈没』への言及もあります。敬愛するが故に反発してみせる、あのやり方で。だが、避けてはいない。
    2006.6.25 Hattori

・ 事務局様、ありがとうございます。本日、『小松左京マガジン』の19巻から22巻が届きました。本棚に、創刊号から22巻まで、ずらっと並んだ姿はなかなか壮観です。ゆっくりじっくり拝読いたします。
 昨日は百キロ離れた場所で暮らしている両親に、扶養家族にする手続きが完了した旨を報告に行って参りました。喜んでくれました。ようやく、やっとこさ、長男として最低限の務めを果たすことができて、これで安心して再び「戦闘空間」に突入できます。「せっかく扶養家族にしたんだから長生きしてよ」と申しますと「そうやなあ」と元気に笑っていました。両親共に77歳ですが、十二進数だと65歳だという話はしないで帰ってきました。
 退院を機にタバコをやめたと言っていたのは本当で、少しショック。今日は今日で、散髪屋さんのお兄さんが禁煙に再々々(?)挑戦中とのこと。私はやめないぞ。ヤリでも増税でも持って来い、です。こよなくタバコを愛しているのです。
   2006.6.22 Hattori

・ 『虚無回廊』を昨晩、読了。何度読んでもすごい。終盤の「情報空間」における、めくるめく理論のたたみかけるような展開、そして穏やかな「亀」のシーンへ移り一旦休止に入る。「転換子(コンバーター)」によって「虚」と「無」と「回」と「廊」が、あたかも「超」数式(!)のように結ばれる。小松左京氏だからこそ可能な、これは文章による壮大なる数式なのだ。SFという文学が、宇宙も生命も、宇宙論も進化論も、数学も論理学さえも、怒涛の如く、いや、もう、言葉を失います。21世紀の「知的良心」従事者は、『虚無回廊』を避けては通れないはずだ。『虚無回廊』3が増刷されたとのことです。
 蛍との「コンミュニケーション」のこと、蛍には少し悪いことをしたなあと、じつは思っています。蛍の明滅する光は求愛行動でもあるらしいので、私は蛍を、いわば少しだましたわけであって、ふられ続けた私にとっては他人事ではないはずなのに。ごめん。いや、あるいは、同じ「ホタル族」として同情してくれて「遊んで」くれたのかな。蛍がタバコの火に応答してくれることについては、『虚無回廊』のミシェル・ジェラン、またはアスカなら「一般コンミュニケーション理論」で説明してくれるでしょう。あるいは「地球系生命どうしなんだから当然だぜ」といったところかな。しかし、蛍の「気を引く」ため、タバコを短い間隔で繰り返し強く吸ってみたわけですが、あのあと、くらくらしました。
 蛍から学ぶことが多い私です。あれこれ、じたばた、ごたごた、熱中夢中。なんだか蛍に対して恥ずかしい。そんな私、52歳。十進数で。十二進数ですと44歳。せっかく「十二支」とかいうものがあるんですから、年齢だけは十二進数で言うようにしたら便利だと思うのですが。国会は法律を作るところだそうですが、タバコ増税なんかではなく、そんな法律も作ったらいいのにと思います。少なくとも女性には好評でしょうに。残り十日足らず。タバコの買溜めに走らねばなりません!
   2006.6.21 Hattori

・蛍にとっては、煙草の火がほどよいコミュニケーション相手として認識できるのでしょうか。面白いですね。
『小松左京マガジン』の購読継続、有り難うございます。さっそくお送りいたします。
ところで、『虚無回廊』Vが今月、増刷されました。ようやく2刷りですが、息ながく読み継がれていってほしいです。
  2006.6.19 事務局

・ つい先日、庭でタバコを吸っていたら、雨に濡れたグミの木の、茂る葉の先にゆっくり明滅する光を見つけました。ひょっとすると蛍かも知れないと思いながら眺め続けているうちに、明滅も弱くなり、ただ単に近くの街路灯の光を反射しているだけのような気がしてきました。あきらめきれず、タバコを短い間隔で繰り返し強く吸ってみました。すると、応答するごとくに「光」は明滅を始めました。やはり、蛍でした。午前1時頃でしたが、息子に見せたく思って現場をそっと離れ、すでにベッドに入っていた息子を連れ出して庭に出ると、「光」は弱く明滅もなく、やはり、街路灯の光を反射しているだけの光だったかもしれないと落胆しました。息子の手前、もういちどタバコを強く繰り返し吸ってみると、再び、明滅を始めました。蛍だったのです。--- 長く苦しい冬が終わって、知らぬ間に梅雨の季節になっていたのでした。
 いま再び『虚無回廊』を読み返しています。思い出せる限りで十数回目ですが、残りのページ数が少なくなって来るにしたがって読み進むのがもったいなくなります。どうしたらいいのでしょう。
 「小松左京マガジン」を購読していましたが18巻を最後に購読を中止していました。当時は経済的な逼迫が強く予測されていたので、あらゆる出費を見直さざるを得ず、泣く泣く購読継続中止の申し入れをしたのでした。「きつねうどん」の代わりに「素うどん」を食い、好きな缶コーヒーも120円ではなく100円の自動販売機を見つけて買い、読みたい本も聞きたい音楽もあきらめ、ただし、タバコだけは好きなだけ吸って(だって、禁煙は体に悪い!)、まあ、いまとなっては、見通しの暗さがもたらしただけの貧乏恐怖感的逼迫であって、その後もなんとか食いつなげているようです。つい先日は久しぶりに天ぷらうどんを食いました。一番好きなのは名古屋駅の「きしめん」ですが。
 そんなわけで、「小松左京マガジン」の購読を再開したいと思います。さかのぼって19巻から購読したいのですが、事務局様、バックナンバーはございますか? ありましたら、2年分8冊分の8000円を振り込みますので、お手数をお掛けしますが、よろしくお願いします。
 あいかわらず早朝に寝て昼過ぎに起きる生活を続けています。もうすぐ午前の5時で外は明るくなってきました。いまごろ、蛍はどこにいるのでしょうか。
  2006.6.18 Hattori

・ご連絡有り難うございます。
こちらに連絡がありませんでしたので、全く存じませんでした。
去年の11月に中国四川省で「日本沈没」上下が翻訳出版されていたのですが、これはキチンと契約をしていましたが、契約期間を過ぎていたのです。そこで催促をしたところ、先月、やっと現物が送られてきました。このサイトがどのようなところなのかお判りでしたら、教えてください。私の所では、簡体中国語が表示できませんでした。
  2006.3.28 事務局

・ はじめまして、おかもと ともうします。
さて、
http://home.njenet.net.cn/yinghuaxia/works/novel.htm
に、「さらば幽霊」の中国語訳が掲載されていますが、ごぞんじでしょ うか。
そちらのサイトの「Translated Works」には掲載されておりませんので。
  2006.3.27 

・小学校の時にテレビで日本沈没をかかさず見ていました。
20歳ごろ「復活の日」を読みました。後日友達と酒を飲んでいて、「復活の日」の内容を友達に話しているうちになぜだか自然に涙が出てきて最後には大泣きで説明していました。
友達は「どんな困難がやってきても人間の英知で切り抜けていける」というような言葉で僕を慰めてくれました。
きょうで地元の映画館が閉館しましたが今月の閉館イベント期間中に日本沈没をやっていたそうです。知らなくて行けませんでしたが。でかいスクリーンで見たかった。

あの時なんで「復活の日」の話をしながら大泣きしてしまったんだろう?
機会があったらもう一度読んでみようと思っています。
  2006.1.29