2002.1.5〜2002.12.12の投稿へ 2000.5.19〜2001.10.13の投稿へ
《2003.2.5より2003.9.17》
★ 「思い出に残る」一番は『日本沈没』。毎週、釘付けでした。
明日21時からのフジテレビ「世にも奇妙な物語」の「影が重なるとき」、米谷さん、ワ、わ、わたしも、とても楽しみにしております! 今夜は「トリビアの泉」に出演された筒井康隆氏を拝見、かっこいいね。来週、25日発売の『ビッグ・コミック』1000号記念号も買いに走るぞ。同日、映画「日本沈没」のDVDも発売。なんだか、うれしいな。事務局様もご多忙でしょうね。
2003.9.17 Hattori
★ お久しぶりです。博識で、パワーのある皆さんに少し気後れしている米谷です。(すみません。筆不精の言い訳です。)
今週18日放送予定の「世にも奇妙な物語」をとても楽しみにしています。
『影が重なるとき』は好きな作品の一つです。私の知る限り、小松作品のドラマ化は久しぶりに思うのですが・・。「世にも・・」には以前放送された、『さとるの化け物』以来だったような・・(違ったら教えてくださいね。)ドラマ化された作品はいろいろあると思いますが、私的には(かな〜り昔で、細かい部分は忘れてしまいましたが、)『やせがまんの系譜』が良かったです。
他に何か思い出に残るのがあったら、また教えてください。
2003.9.14 米谷
★ 南西の空に月と火星が見える。右手を差し伸ばして左にねじり、親指と人差し指を少し開くと親指で月に人差し指で火星に触れる。近くの林の中から虫の音がする。ひときわ高い音、ツィーーン、ツィ、ツィ。いつも思うが、この音は、映画『2001年宇宙の旅』のなかでも聞いた音だ。どのシーンだったろうか。ちょっと調べてみようと気紛れを起こし、部屋へと戻りながら確か木星近傍のはず、ディスカバリー号の中だったろうか。
DVDで調べてみて、わかった、確認できた。スペースポッドの中の音だ。ただ一人の生き残りとなったボーマン、彼が操縦するスペースポッドの中の音だ。ツィーーン、ツィ、ツィ。納得して外に出ると、月はもう沈んで西の空に火星だけが残って輝いている。火星極冠の下のナスカパターン、シュトラウスのツァラトゥストラ、と来れば連想は「キリコ」へと飛ぶ。『虚無回廊』第一章1iの終盤で、アスカが「・・・いやキリコの世界だ・・・」とつぶやく。
こうして今夜も、タバコ片手に夜空を見上げる。いや、もうすぐ夜明けだ。ごめん。
2003.9.8 Hattori
★ ゆったりと息づくホタルのように、火星が明るくなったり見えなくなったりを繰り返しています。流れる雲に見え隠れしています。
「臥猪庵hic」で「明治維新」とのお言葉に触発されて、なぜか十数年ぶりかに白土三平氏の『カムイ伝』を読み返し、『カムイ外伝』へと読みつぎ、そして『日本沈没』を読み返しています。渡老人の「−−つばめじゃ」というくだりは幾度読んでも、かっこいいなあ、と思います。小松左京氏の描かれる老人にとても惹かれます。
このお盆は、両親と一緒に、故郷の川にかかる吊り橋の真ん中に陣取って、たこ焼きを食べながら、昔話やらなんやらで楽しく過ごしました。父母ともに74歳、昭和三年の生まれです。
老人になられた小松左京氏は何を感じられているのかなあ、そんなことを思いながら、タバコ片手に夜空を見上げ、火星を眺めるのです。
今夜の自分を、二十数年後、老人になった私は思い出すのだろうか、何を思うのだろうか。
2003.9.4 Hattori
★遊部様
お便りありがとうございます。
小松が最近テレビに出ないのは、特に心境の変化があったわけではありません。
小松を必要とする番組が少なくなったのと、年齢的に昔のようにタフに動き回ることができなくなったのと両方の事情だと思います。
「面白いキャラクター」は相変わらずで、個人雑誌『小松左京マガジン』を読んでいただければ、おわかりと思います。
2003.7.7 事務局
★小松左京様
初めまして、私はイラストレーターの遊部と申します。
子どもの頃より小松さんの大ファンです!
とくに日本アパッチ族が大好きであります。
前はテレビで面白いキャラクターをよく見せていただいたのですが 最近あまり出られてないようですね。
当方としましては、もっとテレビに出ていただきたいのですが なにか心境の変化が、あったのでしょうか
差し障りがなければ教えていただきたいのですが 宜しくお願いいたします。
それとついでに、当方のホームページも見ていただければ 嬉しく思います。
下記のホームページアドレスをクリックしていただければ開きます。
遊部 康雄 http://www.eonet.ne.jp/~asobe/
それでは失礼いたします。 2003.7.6
★ MAMORUさん、こんにちは。Hattoriです。小生、とても元気とはいえませんが、ともかく生きております。ここしばらく本ホームページを拝見することができずにおりましたが、いつものように明け方近く(午前5時まえ)になっても眠ることができず、やむなく起き出し、久しぶりに本ホームページをそっと拝見したところ、ああ、MAMORUさんの投稿があって、とてもうれしくなりました。一度は訪れてみたいと夢見ている葛城山の麓にお住まいのMAMORUさんから「Hattoriさんはお元気でいらっしゃるんでしょうか?」なんて、やさしい言葉を掛けていただき、言葉もありません。ありがとうございます。
そう、花火の季節がやってきますね。そういえば、数日前に数匹のホタルを見ました。
いつもの空元気が出ません。そろそろ家族が起き出す時刻ですし、改めて、また投稿させてください。
2003.7.4 Hattori
★MAMORUです、おひさしぶりです。
Hattoriさんはお元気でいらっしゃるんでしょうか?
さて、今日は電車の中でちょっとうれしい光景を見たので報告させてください。私は今本を買う金もなく、仕方無しに妻の愛読書である赤川次郎氏の「三毛猫ホームズ」シリーズの一冊を借りて読んでいました(これがおもしろいじゃないですか!)。途中の駅でいかにも今時のおにーちゃんが乗ってきました。年齢は18から22、3といったところでしょうか。髪の毛は肩までのばし、金色のメッシュ。赤いキャップをかぶり片手にはデイバッグをさげて私の斜め前に座りました。ちらと見ただけでわたしはまた本に視線を落としました。しばらくしてまた顔を上げるとそのおにーちゃんは一心不乱に本を読んでいました。他人の読んでいる本が妙に気になってしまう私はいったい何を読んでいるのかとそっと盗み見をするとなんとそれは「こちらニッポン・・・」ではありませんか!ちょっとびっくりしたあとうれしいきもちがじわーと沸き上がってきて話しかけたい衝動にかられました。こんな若い、しかも本なんて読みそうにないにーちゃんが小松左京ですよ。うーん、なんてしぶいんでしょうか。やっぱり小松先生は不滅ですね!
「V」。当然のごとくおもしろかったです。次はいつなんでしょうか?先生、がんばってください!(ああ、他人というものははどうしてこうもお気楽なのか・・・先生ごめんなさい)
ところでHattoriさんは花火がお好きだったのでは?
大阪は富田林市の「PL花火大会」はご覧になられたことはおありでしょうか?まだなければ絶対に見て下さい。ラストの7000発のスターマインの壮絶さは想像を絶するスゴさですよ!特に最後の最後はあたりはまっ昼間かと思うほど(ほんとフツーに昼です)明るくなり、その音といったらニワトリが一週間はタマゴを産まないというほどのもの凄さです!ぜひ一度ご覧あれ!
あー脈絡のないことをつらつらと書いてしまいました。それではまたおじゃまします。
2003.7.3
★ あるお方のご親切をきっかけに『小松左京マガジン』の購読者になりました。昨年7月に初めて本ホームページを拝見し、すぐ購読したい気持ちで一杯になりましたが、自分などが購読者になるのは畏れ多いことに思えて仕方が無く、購読の申し込みができずにおりました。
なのに一方では、衝動的に投稿をし、その後も発作的な投稿を続けて一年になろうとしています。続けていいんでしょうか? 投稿という行為は、あれはたしか小学二年生の時に一度したことがあるきり。当時、掲載された文を読んだ両親が悲しみました。今度はどうなのでしょうか。どなたかをと心配です。
届いた創刊号から最新号の第十巻まで。手を洗い、おそるおそる手にする『小松左京マガジン』。まずは創刊号。見開きに氏の写真。手が止まりました。じっと見入りました。素手で戦う本物の「戦士」の姿を見ました。こんなすごい人を生み出した人類という奴は、たいしたもんだ、そう思わずにはいられません。
第十巻の筒井康隆氏と小松左京氏の対談は、「燃尽男特有五十歳直前精神危機症候群?」と格闘中の熱っぽい体の小生にとっちゃ、気持ちのいい冷水シャワーの如く、もう最高、SF作家は、こうこなくっちゃ! であります。
小生の宝物である次の二冊の続編のよう、まるで、あいだの二十数年の歳月なんかなかったかのようだぜ! (小長谷さんのマネを少し)
「SFアドベンチャー・新春特大号」 徳間書店 昭和55年
「おもろ放談」 角川文庫 昭和57年7月30日 4版
2003.6.19 Hattori
★ 懲りないHattoriです。台所の換気扇のそばでたばこを吸う寒い季節が過ぎ、庭で夜空を眺めながらたばこを吸える季節が巡ってきた! ここ数日はよく晴れて、夜空の星々が良く見える。昨晩、というか、今朝の未明、たばこ片手に見上げていると、中天に光る点がゆっくり滑らかな動きで真東に向けて移動していくのに気付いた。弱い光で目を凝らすと見えなくなりそうになるので、凝視を避けて目の端で捕らえて追うが、ついに街路灯の光がかぶって見失った。あれは、ジェット機だったか、人工衛星だったか。子供の頃、もし宇宙が無限で星の数も無限だったら、夜空は光にあふれているはずではないか、などと憤慨したことを思い返す。
わけもわからないまま社会に出てサラリーマンとして過ごした二十年、なんとかしてフリーハンドを得たいと、てんてこ舞いした十年、すべてを投げ打ち、しゃにむに馬車馬の如く働いた。食うためではなかった。「社会の要求」に応えて、というべきか。そのように教育されたのか。
それにしても、特にここ五年、直接世の中と渡り合って、サラリーマンのまま居れば知らずに済んだようなことどもをも知ってしまった今となっては、もう、まるで幻滅である。目標として来た先輩たちは一体なんなんだ。皆、自分の立場だけじゃないか、なんだこんなものだったのか、頼りにもなんにもならないじゃないか。新聞やテレビは読むに耐えない、見るに耐えない。氾濫する本も読む気がしない。薄っぺらな半真実、半真理ばかり。ぶちぶちに引きちぎられた断片ばかり。息苦しい世の中だ。
どんどん世間とのくだらないシガラミを切って斬ってきりまくってやる。かまやしない。貸し借りなしだ。ほんとうのフリーハンドを、真の「閑暇」を手に入れる。おれは30年前に帰る。あの「私は悩む」に帰る。そこには、ニュートンやマクスウェルやアインシュタインがいる、ニーチェやヘッセや小松左京もいる、とことん自分の頭で考え、考え、考え抜いた星々のような人達がいる。絶望の果てでなおもハンマーをふるう。特異点につかみかかる。偉大な疑問符を掲げる。あらゆる価値観をひっくり返す。
イナゴを炒って食べたことを思い出す。もう、弁解も説明もしたくない。あれはうまかった。洪水の後、川原に流れ着いたクルミを拾って割って食ったことを思い出す。組織だとかサークルだとかには、もう所属したくない。あれはうまかった。小川で釣ったフナ、あれはかわいそうなことをした。
作家は誰のために書くのでしょうか? 見知らぬ誰かのため。どこかにいる誰かのため。来たる新たな世代のため。読者のため。ありがたいことにも、ここに「読者の声」というオープンな場が設けられているのです。なにをためらうことがありましょうか。小松左京氏の膨大な作品群に魅了され幾度も読み返し涙し力を得て感謝したことのあるすべての人々に開かれている場が、ここにあります。
こんな投稿は無意味かもしれない。私にはわからない。いや、わかりたくなんかない。無言の圧力、「いま」の風潮など知ったことか。私は私の考えたことだけを書く。小松左京氏への限りない感謝を。「感謝の衝動」、これは抑えられない。なぜなのか、しきりに考えてみたが分からない。ことばが溢れてし様がないんだ。小長谷さんの言う「リアルタイム」かも知れない。氏と同時代に生きているんだというしあわせ。うん。
小長谷さん、ありがとう。葛城山麓のMAMORUさん、「V」はいかがでしたか。米谷さん、KAZさん、みなさん、再登場してよ。
事務局様、S様、ごめんなさいよ。
2003.5.29 Hattori
★あまりにも短い休息の後、戦場へ赴く戦士に対し、かける言葉もない。でも孤独な戦士にはお月さんが笑ってくれたようだし、それに向かう戦場も本人が決して嫌いな所でもなさそうだし、まあいいか。
戦場と云えば、今日ちょっとショッキングな話を聞いた。JNNのニューヨーク支局の特派員をやっていた後輩の話だが・・・
9.11の時、取材に駆け付けた彼が、煙をあげるツインタワーの窓という窓に、ユラユラ揺れるものを見て、初めはブラインドかカーテンだろうと思っていたのだが、気が付くとそれは全てが助けを求める人間達だったとのことである。しかも、そのうちにそれらが虫がとぶように(不謹慎な話だが)ピョンピョンと飛び降り始めたと言うのだ。
だんだんビルに近づいている彼は、ある者は両手を振りながら,ある者は二人で手を繋ぎながら、またある者は抱き合いながら落ちて行く様を視認したという。
おー!、なんてことだ。
どんなフィクションもこの悲劇にはかなわないよね。こんな世の中でフィクションって何だろう。SFって何なんだろう。
こんなことをつい思ってしまう小長谷でした。Hattori軍曹の無事と活躍を祈ります。
2003.4.24 小長谷
★ 「少し外の空気を吸ってくるね」、妻にそう言ってお気に入りの靴を履いて散歩に出かけた。日が沈もうとしている時刻で、少し寒い。途中の自動販売機で暖かい缶コーヒーを買い、片手にタバコ、片手に缶コーヒーといういつものスタイルでそろそろと歩く。会社を始めて以来、ひる夜なく雑務の洪水の中をもがき泳いでいるうちに昼夜逆転の生活パターンに定着、今日も昼過ぎに電話で起こされた。なんだか日光を浴びたくて外に出た。歩いているうちに、もうかげってくる。少しはなれて女子高生が犬の散歩をさせている。日の当たる場所まで出ると、日を背に受けて桜並木に向かって歩く。桜並木の、その向こうにうっすらとお月様が見える。誰もいない桜並木のなか、桜の枝をかいくぐって進む。多様な色と形と開花の段階の桜の花。地面は朝方の雨でぬれ、散り始めた花びらで一杯。並木の端にベンチを見つける。夕陽が沈むのを眺めようと腰を降ろし、足を組んでタバコに火を着ける。背後を絶え間なく走りすぎる車の音は無視する。贅沢な気分。桜の枝越しに夕陽を見る。背中に月を感じる。振り返るとまんまるのお月様。ひとつの線上に太陽、桜の花、おれ、そして月。A・C・クラーク曰く緩慢自殺剤たるタバコ、を吸いながら夕陽と桜を眺める。夕陽が沈んでゆく。そして沈んだ。ベンチを立つ。なお気の向くままに歩く。楽しくも、悲しくもない。ただ歩く。車の音に混じってどこかで鳥の声、虫の声がする。お月様が明るい。「ちかんに注意」という看板がある。どうしたら「ちかん」と思われずに済むだろうと考え、少し腹が立つ。缶コーヒーを持つ手がかじかんでくるが、なおも半時間ほど歩く。十万年前、このあたり一帯はどんな風景だったのだろう。十万年後、このあたり一帯はどうなっているのだろう。
自宅近くまで戻ると、お月様が少し微笑んで迎えてくれた気がして、ほっとした。おれは三十年に及ぶ「戦闘空間」から離脱したのだ。疲れている。少し休め。得たものは何もないが、つかの間の猶予は獲得した。十数年暖めつづけてきた仕事に着手しようと思う。
2003.4.15 Hattori
★ 「運動物体の電気力学について」という論文が発表されてから、もうすぐ百周年になりますね。アインシュタインの相対論(特殊相対論)です。1905年、アインシュタイン、当時26歳。
そのアインシュタインの伝記を、いま読んでいます。
B・G・クズネツォフ著「アインシュタイン」上・下巻 「合同出版」1970年発行
この本は高校生の頃に読み耽った本。認識論的側面に強く惹かれながら読んだことをはっきり覚えています。三十余年前のこと。その後、テレビで「アインシュタイン」を特集した番組が何回か放映されたこともありました。どの番組も、真剣に心を打ち込んで制作された、とてもいい番組でした。アインシュタイン後半生の苦悩が基調とされていました。「超個人的」な苦闘、時空を超えた孤独と苦悩、辛く寂しく悲しい闘い、その「辛く寂しく悲しい」なかから、その苦しみのなかを通って、不思議に輝く暖かな何かを感じ、思わず涙が出ました。クズネツォフ著「アインシュタイン」を読みながらも、同じ思いがします。アインシュタイン、その人がそうさせるのでしょう。
人類と知性、人類と認識、知性と認識について、いま、いったい何人の人が辛く寂しく悲しい闘いを闘っているというのでしょうか?
「復活の日」のなかで、ユージン・スミルノフ教授の口を借りて小松左京氏はアインシュタインに言及しています。ヘッセも「荒野のおおかみ」のなかでアインシュタインに数行を割いています。
「果しなき流れの果に」や「ゴルディアスの結び目」の、あの悲しさ、暖かさ。同じなのです。小長谷さん、これが小生の「思いのたけ」、その断片です。意味不明かもしれませんね。ごめんなさい。
ここは、小松左京氏の力強い一文で、結ばせてください(事務局様、オーケー?)。
以下、「臥猪庵hic」の平成12年師走(12月)13日から勝手に抜粋
これからの人類にとって、普遍的なものの考え方を支えるものとして何があるのか、と問われたら、「SF」はなにがしかの力になれるだろう、と答えたい。
2003.4.9 Hattori
★ 星新一氏、小松左京氏、筒井康隆氏のお三人が一枚のDVDに! 意外な展開。素敵です。四半世紀を越えて甦る
Amazing 3 。「宇宙に逝く」は、夜の高速道路を静かに走りながら聴くと最高です(安全運転)が、DVD化で、どのような静止画や映像がのせられるのか、それも楽しみのうち。 この度は事務局様のご苦労の一端を窺い知り、経営者の端くれとして、お察しいたします。
「作品」は不滅だ。DNAのように、ミームのように、媒体を乗り換えながら生き続けていくのだ。
2003.4.6 Hattori
★ 「宇宙に逝く」のCD、ビクターは自分のリスクではなくカスタムならば、ということで試算してきたのですが、ちょっとイオだけでリスクを負うには重たい物でした。できれば星さん、筒井さんと三人そろえて出したいと思ったので、それならば、CD三枚よりもDVDにして一枚に三人分を入れた方がいいのでは、と今別の人に検討してもらっています。DVDプレーヤーがだいぶ普及してきたので、音だけでなく静止画やしずかな星の映像などを入れて聴いていただいたら、と思うのですが、いかがでしょう。値段もCD三枚買うよりもお安くなりますし。
2003.4.4. 事務局
★ 小長谷さん、お帰りなさい。照れるこたぁ、ありゃしません。小長谷さんは必ず戻って来る、そう思っていた自分に、いま気付きました。そんな小生こそ照れくさい。ところで、事務局様、「宇宙に逝く」のCD、発売時期は決まりそうでしょうか? これ、小生の照れ隠しの質問。どうも、すみません。
2003.4.3 Hattori
★ジャジャーン!再登場がちょっと照れ臭くて、ついつい陳腐な効果音を使ってしまった小長谷です。大プロジェクトの成功話を引っさげて登場するつもりが、何も成し得ず、帰るに帰れず別世界でウロウロとしていたのですが、ちょいと覗いた読者の声。ああ!なんと、何気なく留守居を頼んだHattoriさんが健気にも、孤軍奮闘、大奮闘。一人にしておいてしまったおいらが悪かった。(ちょっと調子が出てきたぞ)それにしてもHattoriさん!あなたは何というシトだ。何て素晴らしい方だ!クックッ!
と照れ隠しの前置き。
実は恥を忍んで出てきたのは、もうすぐ4月7日。アトムの誕生日が近づいてきたからなのだ。戦後の貧しい日本に生まれてきた少年たちは、最大の幸運に恵まれた世代でもあった。それは100年に一人出るか出ないかの大天才、手塚治虫と出会うことができたからなのだ。左京先生をしてマンガ家への道を諦めさせた大天才。おかげで我々は手塚治虫の漫画と、小松左京のSFをともにリアルタイムに楽しむことができたわけだ。ねえHattoriさん!
宮崎駿のアカデミー賞授賞も、手塚治虫なくしてはあり得なかったことは自明。それなのに、手塚作品の中に少々反体制的なものがあったという理由だけで(これは小長谷の勝手な推測であるが)、日本政府の官僚どもは、手塚治虫に対して国民栄誉賞を与えることもしなかった。あの長谷川町子に与えてだよっ!
満開の桜の下で、おいらはアトムの誕生を祝い、手塚先生に感謝の意を表し一杯やるつもりなのだ。 それが言いたくてのこのこと出てきたわけよ。また投稿させてもらうぜ! 2003.3.27
小長谷
★ 夏は庭先でタバコ片手に夜空を見上げ、冬は台所の換気扇のそばで(家内に「じゃま、じゃま」と叱られながら)、タバコ片手に換気扇を見上げる、懲りないHattoriです。お久しぶりです。「ぼー」が治ったら、また、投稿させていただきます、と投稿させていただいてから二ヶ月が経ちました。その間に年も変わり、「読者の声」欄も少しリニューアルされ、MAMORUさんの投稿もあって、そう、投稿の常連だった小長谷さんも、読まれているかな、だと、うれしいな。
MAMORUさんの投稿を拝見して、小生も39歳で会社を飛び出したことを思い出しました。実は、三十代には必ず独立すると密かに心に決めていて、ぎりぎり39歳で「無理やり」会社を飛び出したのです(いま思えば、十進数にこだわる事もなかったのですが)。その後、45歳で会社を作り、起きるべくして起きることはすべて起きたような凄まじい数年が過ぎ去り、つい先日49歳に。ああ、どなたかがどこかに書いておられましたように「馬車馬のように」働いて来た歳月、ここらで一息、も一度、「光速度不変の法則」や「等価原理」に感激した、あの頃の「認識」への熱き思いへと立ち返りたい(いや、我慢して棚上げして来たに過ぎない!)と思うのであります...。
「日本沈没」の終盤、渡老人の言葉が、そんな小生の力となってきました。感謝の気持ちを込めて、その一部を引用させていただくことを、お許しください。
渡老人 「何度もいうたとおり、生活の心配はないようにしてある。ただな、花枝……いうておくが、ただ、生きるということは、これはこれで辛いことだぞ……」
「アフォリズム」の方に投稿すべきだったかもしれませんが、長く長く心に残り、力となってきた言葉なのです。
それにしても、小松左京氏は「日本沈没」を三十代に書かれたわけですから、なんとも凄い。氏の作品には、敬服したくなるような老人がよく描かれます。「小松左京と老人」論なんて、書いてみたくなるくらいです。「虚無回廊」の「老人」も気になります。
さて、では、また、換気扇のそばに戻るとします。
2003.2.16 Hattori
★ はじめまして、私今年で39歳になる男です。
去年会社を辞めて自営の道を模索しながら、1年が過ぎようとしています。ほとんど収入もなく精神的にキツくなってきた今日このごろなのですが、先日本棚を整理していたら最初の少しだけ読んでそのままになっていた「虚無回廊T、U」を見つけ、また読み始めたところあまりのおもしろさに一気読みしてしまいました。先生のスゴさって言葉にはできませんね。休火山が再び爆発した様な気持ちになった私ですが、思えば中学の頃文庫本ブームがあり、横溝正史一本だった私が何気に手にとった「復活の日」が小松先生との出会いでした。日の当たる暖かい縁側でラストを読み終えた時の感動は今も忘れません。体中がざわざわしてしばらくボーっとしていたのを思い出します。
「いったい何なんだ、この人は!」衝撃を受けた私は後に「復活の日」が映画化される事を知って狂喜し、バラエティ誌でずっと映画の制作状況をチェックしていました。角川春樹監督の「私は”復活の日”を映画化するためにこの世界に飛び込んだ」という言葉を聞いて感動し、やがて映画の完成。しかし私としてはあの壮大な物語は”映像化”には成功したが”映画”としては80点だったと思っています。まあ、原作の感動が大きすぎた為のギャップであり、これが映画のむずかしさではあるのですが。
逆に、本気になれば日本映画もここまで出来るんだと妙に嬉しかった事も覚えています。
次に読んだのが「果しなき流れの果に」。
家が葛城山麓なので「ウォーッ!この辺が舞台か!」とこれまた狂喜。そしてあの言い知れぬ感動。ラストで野々村が佐世子と再会する家とよく似た家が近所にあり、すごく親近感を覚えた物語でもありました。しかしこの物語、小松先生ではありませんが読み進むうちに気が滅入ってきて読むのをやめようかと思った程当時の私にはスゴすぎる内容でした。でも最後まで読んで本当によかった。あの時途中で放り出していたらと思うとゾッとします。
あの頃から25年の歳月が流れました。「虚無回廊」を読んでたまらずに今、小松先生は何をしていらっしゃるのだろうかとこのホームページを見つけこうして投稿させて頂いている次第です。
ここに来て本当によかった。「U」で終わりだと思っていた「虚無回廊」に「V」があったなんて!未完だったなんて!知りませんでした。又、こんなに読んでいない作品があったなんて・・・私が生まれた年に世に出たのが「復活の日」。私の地元が舞台で始まる「果しなき流れの果に」。何か運命的なものを感じずにはいられません。長い空白の時を埋めるべくまた先生の本を読み続けていこうと思います。先生にはいつまでもお元気でいて頂きたいと心から思います。私もまた何か元気が出てきました。生きる勇気が湧いてきました(自殺を考えていたという事ではありませんので、念の為)。
また時間があれば投稿させて下さい。大変長々とすみませんでした。「V」ですか?もちろん注文済みです。それではまた。
2003.2.5 MAMORU