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《2007.2.9より》

・先日、NHKテレビで久々のお姿を拝見しました。私にとって、 小松左京氏の存在はSF作家であると同時に、京大人文研の応援団 (御自身はどこかで「院外団」と書いておられた記憶があります)、と いう感じがずっとしています。それこそ、学問の厳しさと愉しさ、とで も云うものを氏のこの方面の御仕事で教えられた気がします。
 『放送朝日』関係、未来学に万博、百科事典をめぐるエッセイ 等々...(その集大成が、『碩学に聞く』でしょうか)。そんな 御仕事ばかり編年体で読んでみたい。加えて、高橋和巳氏をめぐる思い 出についても、もう一度纏めて読んでみたいです(どちらも、欲を言え ば梅棹氏の全集スタイルで、解説付きで)。
 それでは 敬具
  2007.10.29  千葉市 藁科 拝

・小松大人の作品で何度も読み、又(本を見失う度に)何度も買い求めたのが大杉探偵の活躍する「幽霊屋敷」です。どうも私は大杉探偵のキャラクターにひかれたようなのです。
 あのショボくてやや無頼な大杉に惚れるのは(私が女だったら)「転落の兆しあり」と言われるところでしょう。だが何とでも言え。惚れたが何故悪い!!
 大杉探偵キャラ全開の作品が読みたい!!   「俺の死体を捜せ」や(ようやく見つけた)「長い部屋」も大杉キャラが生き生きと「立っている」とは言えませんでした。
 大杉探偵(キャラ)の復活と活躍を望み悶えるのは私だけなのでしょうか。 同様のキャラの主人公が活躍する作品があれば教え請う。
  2007.9.21  武蔵野市 椛澤清志 59歳

・ 旅立ったとたん、「諸問題」が襲いかかってきた。退路はない。前へ駆け抜けるしかない。つぎつぎに正面突破。あるいは、振り切った。――気が付けば、遷移軌道にのった模様。
 いったい、こんな力がどこから湧き出してくるのか。突っ走りながら、とても不思議でした。軌道上から見れば明らか。強い「共振」が支えてくれたのです。
 このまま、旅を続けます。まだ、これからです。
 ひとまず、旅先より第一報。元気です。たぶん、次からは「通信担当」VPがご報告申し上げます。
   2007.4.19 服部悦雄

・ 小松左京氏の作品、言葉、そして、不安、孤独にも、強く「共振」し続けた三十数年。これからも。――「前へ」を「お守り」に旅立ちました。ありがとう。
   2007.3.19 服部悦雄

・服部さんからの投稿をいつも楽しみにしておりました。
小松左京の作品にこのように「共振」していただいていることを、小松本人にも伝えておりました。作家というのは孤独な作業で、生みだした作品がどのように読まれているのか解らないので、いつまでも不安で孤独な思いでいるようなのです。つい最近、12歳の少女から、「空中都市008」を読んで未来のイメージが機械に支配されてしまうものと思っていたがそうではないという事に気づき感動した、という手紙をいただき、小松は大変感激しておりました。
 作品は作家にとっては自分の生み出した「子供」ですが、その作品を読んで「共振」してくださった読者も、ある意味では作家の「義理の子供」といえるのではないでしょうか。小松左京チルドレンが、それぞれに育って行くことは、喜ばしいことです。どうぞ元気に、志に従って前に歩んでいってください。そのときに、すこしでも小松左京の言葉が力になりましたら、幸いです。
 旅先からのご報告を、お待ちしております。
   2007.3.19 事務局

・ とある事業所の敷地内の、数少ない喫煙所で、旧友に会い「タバコをやめるには強い意志がいるっていうけど、わたしらの吸い続ける意志だって負けちゃぁいませんよ、ってんだ。ねえ、服部さん」「ええ、もちろんです。どんなに迫害されようとも吸い続けますよ」、と意気投合し、喫煙所での再会を約し、名神高速へ。
 いつものように伊吹山と対面し伊吹PA(SAでなくPAでした)へ入る。「きしめん」を一気に平らげ外に出て一服。伊吹PAなのに伊吹山は見えぬ。山は、休憩施設の建物の背後にある。私が伊吹PAの経営者なら、この広い敷地のど真ん中に休憩施設の建物を置き、伊吹山を見上げながらタバコが吸えるようにする。大型車と小型車の分離もできる。小松左京氏のダッシュの多い文章が、私は好きだ。軽い「分離」。――「知」も財産だが「風景」も財産だ。いつまでもあると思うな、親と金。風景も、また。
 2000年、父の誕生日に「情報風景(information-view)」という言葉を冠した会社を設立しました。
 「情報風景」という言葉は、小松左京氏の作品群からひらめきを経て私のもとを訪れました。ひとつの言葉が、小生、十代の頃からの長年の問題意識を、ひとつの「形」と成し、概念として立ち現れました。「この概念を追求せよ」と、なにかが、深く静かに、私に命じ、それに従いたいという衝動はやみ難く、これは、私なりの、人類知性への一石となるかも知れない。この難事業の足場として、当時(2000年)の私にはほかの方法が思いつけず、会社設立、商標登録したのです。
 そうして7年、長い地中生活を経て、いま、夏への扉が開き、この事業に着手することに。――この先、道半ばで倒れようと悔いはない。退路は絶った。
 ここに、小松左京氏への畏敬と感謝のこころをこめ、ご報告申し上げて、本「読者の声」欄から旅立って参ります。武器はSF魂(SFスピリッツ、あるいは三つの赤血球)、何か獲物を得たならば、旅先よりお便り差し上げます。何年後になるかさえ分かりませぬが。事務局様にお願いがございます。手向けのお言葉をいただきたく。道中の「お守り」とさせていただきたく。タバコは手放さない。では。いざ。
   2007.3.18 服部悦雄

・ 伊吹山の雪はほとんど消え、三つの赤血球は松・一・筒で、夏への扉は開き、きょうも元気だ、タバコがうまい。一仕事済ませ、ふるさとにむかえば、山の上に、まんまるお月様。そういえば、今朝、ウグイスの鳴き声を耳にしたことを思い出す。『日本沈没第二部』再読中。
    2007.3.3 Hattori

・ 月に向かって軽く両手を広げる。広げた手の間隔を畳の横幅(3尺)くらいだとする。その幅で月までの細長い長方形、というか、帯を想像する。その帯を千倍長くすると、この「帯」の面積は38万平方キロメートルであり、ほぼ、日本の国土面積に等しい。----そんなことを思ったのは、いつのことか。遠い昔のことになった。
 今日の日曜も仕事に出かけ、遅くなった。深夜、車をガレージに入れながら、ふと、フロントガラス越しに、西の空にかかる上弦の月を見上げ、次のように思った。
 月までの距離の千倍といえば地球の公転半径の2倍半だ。この長い「帯」を横幅(3尺)で丸めて、つまり、直径1尺の「筒」にする。この長い筒は、筒というよりは「紐」だ。この紐の表面積は日本の国土面積に等しいので、仮にJS(ジャパン・ストリング)と呼ぶことにする。表面積を保ったままJSの長さを2光年まで引き延ばす。言わずと知れたSSの長さだ。このとき、38万平方キロメートルの表面積をもつJSの直径はどの程度なのか。
 車を降り、居間の食卓にある新聞折り込みチラシの裏でざっと計算してみた。最近のチラシは両面に印刷してあるものが多く、メモ用紙代わりに使えるチラシが少ない。使えるチラシを探し出すのに手間取ったので、計算間違いがあるかも知れないが、私の拙い計算では20ミクロンと出た。ヒトの赤血球3個分だ。
 なぜこんなことを考えたのか。こころに尋ねてみた。「川中みゆき」の演歌を聴きながら運転してきたからかも知れない。7年の地中生活から、再び、地上に出た「自由」が、そうさせているのかも知れない。あるいは、『日本沈没第二部』の作者のこころが、そうさせているのかも知れない。
 蝉のような私には、今が夏なのかも知れない。
    2007.2.25 Hattori

・ 名神高速を名古屋方面に走る。「コラテラル」オリジナル・サウンドトラックCDの11番目の曲「Air」を聞きながら、米原JCT手前のトンネル二つを抜けると、すぐ、真正面に、雪をまとった雄々しい伊吹山が目に飛びいる。走行・追越の両車線や、うしろへと流れ去る道路両脇の木々の風景に挟まれた前景の真正面に、上空に広がる大空に対し、薄青く霞んで、さり気なく、大地の圧倒的存在感を示す。この風景を満喫できるのはトンネルを抜けた直後4,5秒だけで、すぐ道路はゆるやかな下りに入り、自ずとスピードが上がって前後の車が入り乱れ始め、そちらに気をとられる。
 しばらく走ると伊吹SAだ。私の知る限り、伊吹SAより西のサービスエリアではメニューに「きしめん」はない。伊吹SAで「きしめん」を食い、外で一服、二服、三服後、さらに走ると、関ヶ原ICに近づく。ここは『こちらニッポン・・・』で、東京の若い女性が大型バイクに乗り、東名・名神高速で大阪に向かう途中、路面の重油で転倒する難所だ。
 私にとっても関ヶ原ICは、二十歳過ぎ頃のほろ苦い記憶の場所だ。三十年ほど昔の夏の、ある日曜日、伊吹山ドライブウェイにデートに誘った。案の定、関ヶ原IC出口のランプからして渋滞しており、炎天下のもとノロノロ運転が延々と続く。助手席の女の子はおしゃべりに夢中だが、中古の車、冷却水の温度計の針が気が気でない。ぐんぐん上がる。・・・と、突然、ボンネットに叩きつけるような雨、夕立だ。恵みの雨。温度計は私の内心の安堵に同感し下がり始める。
 数日前から『日本沈没第二部』を読み返し始めた。わたしは、いい本は、寝床に持ち込んで読むことにしている。一日の労苦も、良くも悪くも、とにかく終われば、寝床に入り眠りに落ちるまでの数刻は、作品世界に没入し作者と語り合える至福のひと時だ。イマジネーションの翼を思いっ切り広げることができる。寝床で本を読むには文庫本が最適だ。単行本は重くて腕が疲れ、作者のせっかくのこころが読めなくなる。出版社の方には申し訳ないと思いながらも、『日本沈没第二部』は、章ごとに切り分けて枕元に積み上げてある。章ごとに切り分けてあるので、重さは文庫本程度で、ちょうど具合がいい。
 本棚のスペースにも限りがあれば、文庫化された段階で単行本は倉庫に移すなりなんなりしているので、手元にある本(繰り返し読む本)は、かなりの割合で文庫本や新書判が多い。一読者として出版社に要望するとすれば(質量の)軽い本を出版してもらいたい。持ちやすさも考えれば厚みは10ミリ程度に抑え、それで収まらない場合は分冊にしてほしい。定価は単行本と同じでも構わない。これは、一読者の声です。「読者の声」欄に投稿を始めて知らぬ間に足掛け6年になりますが、初めて「読者の声」欄に相応しいような「声」を書くことができたように思います。
 「心のコマケン会員」小長谷さんは読んでいるだろうか。私は7年の地中生活から蝉のように地上に出た。
     2007.2.16 Hattori

・ 新幹線東京駅ホームの「ちくわ天うどん」はうまいし、名古屋駅の「きしめん」が一番で、新大阪駅在来線ホームの「きつねうどん」も、いつ食べてもおいしく、なにより店員さんのやさしい笑顔がうれしく、さらになにより店のすぐそばに喫煙コーナーがあるのが最高だ。食後の一服、タバコに火を点け、轟音に見上げれば、すぐ頭上、飛び行くジェット機の翼がちらと見える。小雨の大阪を後に、帰宅すると食卓にチョコ。やっぱ、チョコっと照れる。
 久し振りに「臥猪庵 hic」を拝見したら、昨年11月10日の日付で、 「健康に悪い」といってどこでも「禁煙」になっているのは、どうしてなんだ? 生きていること自体が一番身体に悪いことなのに。
 と書かれてあった。名言だなあ。SF魂だ。A・C・クラークは猛毒だとか緩慢自殺剤だとか、おっしゃる。SF魂だなあ。
 あ、傘、忘れた、新大阪駅に。
     2007.2.14 Hattori

・ 『SF魂』を再読中。
 昼夜逆転の生活を直そうか、昨年晩秋、気まぐれで大学病院へ。「睡眠相後退症候群」というかっこいい(?)病名を告げられ入院。昼夜逆転の生活(早朝に寝て夕方に起き)ていたのが、入院初日からいきなり午前6時起床、午後9時就寝が「できて」しまい、定着。10日程度で外泊(事実上の退院)となり、そのまま3週間で退院。その後も、午前6時起床、午後9時就寝ができてしまい、怪訝な気持ちで年を越した。案の定、年初のある日、暴発。リバウンド、再発、悲鳴! 再入院を打診すると、つれない返事。奈落へ。再び自己との戦闘開始、軍拡競争がエスカレート、自己と自己なので五分と五分、決着つかず。
 外界からのトリガーで、視野狭窄、認知の歪み、自殺念慮等が徐々に解除され始めて行き、なんとまあ、7年ぶりに地中から地上に出た気分。蝉のようだ。昨晩も午前三時過ぎに床に入り『SF魂』を再読しながら、知らぬ間に眠ったが、今朝は目覚まし時計なしで午前中に自ずと目が覚め起床した。
 入院3週間の間、直腸に熱電対を挿入し体温を記録していた。ドクターが肛門から13センチと言う。当初は不快、しだいに慣れ、そのうちクセになりそうになり、それはともかく、記録データを見ると、25時間周期のグラフ。18時間のずれ(後退)が確認され、順次修正され体温の最低点と最高点の差(振幅)も増大傾向が読み取れる。波形の振幅と位相が体温グラフでみごとに実証、人も地球の一部と実感した瞬間。
 『天変地異の黙示録』の後半で「日周期変動」が語られています。この一言が頭の隅にありました。あまりにも当たり前のこのこと、「地球の自転」を強く体感したのでした。
 地中から地上へ、殺風景から「風景」へ。『天変地異の黙示録』と『SF魂』に、感謝! またもや、SFで救われた。取り急ぎ、以上、走り書き。
 遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。
   2007.2.9 Hattori