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平成19年(2007)睦月(1月)19日(金)
香港に転勤していたバンちゃんが戻ってきて、久しぶりに顔を出してくれた。今や二人の男の子の母親だそうだ。親としての悩みもあるようだが、相変わらず元気なバンちゃんで、張り切っていた。今日は東京での新年会。オータニのスウィートルームでパーティだ。
額の傷もだいぶ落ち着いて、嘉門達夫は、丹下左膳みたいだとはしゃいでいた。
平成19年(2007)むつき(1月)18日(木)
『諸君』の「いじめ」についての経験談を口述してもらう。そのあとは慶應大学出版の『リスクの誘惑』についての取材を受ける。
平成19年(2007)睦月(1月)17日(水)
森下一仁がイオに来て「作家クラブ40年史」の序文を取材していった。
平成19年(2007)むつき(1月)12日(金)
フロンティア3000研究会の新年第一回目は、コマケンの2代目会長で、京都では老舗の中西印刷の専務、中西秀彦君が「印刷の過去・現在・未来」という話をしてくれた。サントリービルの一階にあるパブでやったので、シャンパンで乾杯。額の大きな絆創膏は、「男の勲章」として注目の的だったぞ。
平成19年(2007)睦月(1月)6日(土)
夜中というか、早朝というか、午前2時頃に自宅のトイレ脇で転倒して、額を裂傷。大量に出血して女房はびっくり。それでも私をベッドに横にさせて大きな絆創膏を貼ってくれた。正月には必ず何かが起こるが、今年はこれだったか。