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平成20年2月29日きさらぎ(2月)29日
『小松左京自伝−実存を求めて』が20日に日経新聞出版社から出版された。お繁さんからは今までで一番本の装幀も良いし内容も面白かったと電話があったそうだ。『週刊ポスト』の「著者に訊け!」という3頁ものブックレビュー欄で取り上げてくれるとのことで、千里クラブで取材を受けた。ライターの女性は、昔から私の本を読んでくれているとのことで、なかなか突っ込みも深い。全身の写真も撮影されたが、髭がだいぶ長く伸びていたのが、気になった。いまやオトベちゃんには、「髭じい」と呼ばれているのだ。
平成20年(2008)如月(2月)9日
「小松左京マガジン」第30巻の編集長インタビューとして、かんべむさしと対談することになっていたのだが、今朝からの雪がだんだん激しくなって、我が家の玄関から門まではもちろん、前の道にも真っ白な雪が積もってしまった。千里クラブに行くことになっていたのだが、オトベちゃんがこれでは無理だから、かんべさんに自宅に来てもらいましょうという。しかし、タクシーもなかなかスタッドレスタイヤをつけた車は少ないし、捕まえにくくなってしまうので、オトベちゃんはホテルから乗ってきた阪急タクシーをずっと放さずにかんべちゃんを箕面まで連れてきてくれた。雪を被った竹や桜の木々はそれはきれいだと、雪景色に感激しながらも、帰りの脚が確保できるか、オトベちゃんは気が気ではない。しかし、阪急タクシーの親切な運転手さんが携帯電話番号を教えておいてくれて、自分は往かれなくなっても他の運転手さんに手配してくれて、無事に帰ることが出来た。
久しぶりの大雪に、箕面の山ではシンとした静けさを感じながらかんべちゃんとゆっくり話をすることが出来て嬉しかったが、周辺では色々と騒がしいことでもあった。エライこってすな。
平成20年(2008)きさらぎ(2月)8日
今月の2金会、フロンティア3000研究会は縄文人の小山修三さんが「吹田市立博物館の未来」をみんなで討議したいということで、市民の盛り上げる会の人々10人、吹田市長の阪口さんもいらして、賑やかなことだった。
平成16年(2004年)から館長になって4年。とにかく来館者数をあげることを第一の目標にする、と宣言して始めた小山修三だが、システムも予算もいじらずに、面白い企画を立案し、それを支える市民の会がいつの間にか出来て、来館者数を二倍以上にしたのはすごい。博物館の中だけに収まらずに、千里ニュータウンの中にサテライトを置いたり、足湯を始めたり、市民からのアイデアをすぐ実行に移す機動力は大きい。しかし、これからさらにこれを継続してステップアップするためには、どうしたらよいのか、というのが問題だ。
翌日、橋下府知事が博物関連の予算をゼロにするという宣言が新聞に載った。ゼロからの出発。私は橋下知事を支持すると二金会でも言っていたのだが、吹田博物館で、知事と話をしても良いと思っている。