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  平成18年みなづき(6月)23日

 四金会の日だが、その前に、毎日放送の「ありがとう浜村淳です」の収録で、浜村淳ちゃんと久しぶりにあった。リメイク版「日本沈没」の映画の話だ。彼は映画には詳しくて、33年前の「日本沈没」の時にも、それから、1984年の「さよならジュピター」のときにも、ラジオで取りあげてくれた。四金会には、久しぶりに梅棹(忠夫)さんが来た。胃の手術をして以来、元気をなくして久しく夜の外出を制限していたのだが、最近ようやく元気になって、本をあと20冊出すと宣言している。すごいおっさんや。

  平成18年水無月(6月)17日

 3時頃まで起きていたのだが、朝8時の朝食時間には起きて、朝酒を飲む。テラスで珈琲を飲みながら冷酒も飲み、9時20分には車で東京へ。
12時には東京駅に着いた。さすがにトイレに駆け込んだが、身障者用のトイレがふさがっていて、健常者用のトイレへ。階段を上らなければならない。最近、身障者用トイレのふさがっている率が高い。これ、なんとかならんのかね。13時6分発のひかりで大阪へ。いつものように車椅子の手配をしてもらって女房に迎えに来てもらったが、小諸からいっきに大阪への帰還は、やはりかなり身体に応えて、しんどかった。しかし、楽しい旅行だったよ。

  平成18年みなづき(6月)16日

 SF作家クラブの恒例温泉旅行。今年は田中光(二)ちゃんの運転で、豊田(有恒)さんも一緒にクラウンに乗って小諸の中棚荘へいった。明け方ふっていた雨も、出発の11時には上がり、走っていく内にどんどん快晴に向かっていった。
 今年は珍しく筒井さんも、「よみがえり」で甦った梶尾真治も来た。「日本沈没第二部」を無事完成させてくれた谷甲州も、作家クラブ会長として挨拶。「日本以外全部沈没」の映画化もすすんでいるので、話題は当然そちらに行く。夜の宴会から、筒井さんは持ってきた三〇センチもの葉巻の廻し喫みで参加者を一つにまとめ、宴会後は、私の部屋に夜中まで大勢が集まって、わいわいがやがや、楽しく盛り上がった。

  平成18年水無月(6月)15日

 7/6から東京ビッグサイトで開催される東京国際ブックフェアで、私の「小松左京全集」の発表をするというコニカミノルタのブース用に、ビデオ収録。映画「日本沈没」のプロモーションビデオも流すという。発行元は城西国際大学出版会なのだが、コニカミノルタのリアルタイムパブリッシングシステムを使って発行するので、コニカミノルタのブースでデモンストレーションするというわけだ。「コマツミノルダ」などと、ダジャレをいったが、これは多分カットされるだろう。
 そのあと、映画「日本沈没」で全面協力してくれたJAMSTEC(海洋研究開発機構)の広報誌、『Blue Earth』の取材を受ける。グラビア誌を使った写真の綺麗な広報誌だ。
 夜は、全集の打ち合わせ。