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 平成18年(2006)睦月(1月)28日

 新年があけて、はや一月。私の75才の誕生日を迎えた。
 前日の27日は、いつもの四金会で、みんなに祝ってもらったが、当日は、家で妹と女房と三人で祝った。日曜日には、子供達が孫を連れてくることになっている。

 平成18年(2006)むつき(1月)21日(土)

 朝一番は、今年のSF大会「ずんこん」の実行委員が来て、参加の要請を受ける。
映画「日本沈没」の公開と重ならなければ、参加すると答える。7月8日、9日松島でのSF大会だ。
ところで、来年2007年のワールドSFコンベンションは、だいじょうぶかね。
 読売新聞の「あの時の私」担当記者が、インタビュー。
 終戦の時の原爆体験と、SFへの道について語った。帰阪するギリギリまで食いついてきて、あわただしくタクシーに乗る。

 平成18年(2006)むつき(1月)20日

 高齋さんが午後、ホンダのプロモーションがニューオータニであったからと帰りに寄ってくれた。今度の『小松左京マガジン』で編集長インタビューをするので、その打ち合わせもする。夕方、3金会の前に、久しぶりに床屋へ寄って散髪。
 3金会へは、週刊朝日百科『シルクロード紀行』の編集者が原稿依頼に来た。さて、書くことはいっぱいあるが、何を書こうか。

 平成18年(2006)睦月(1月)19日

 今年最初の、東京。
 澤田君が「自作を語る」の取材、そのあとは、コマ研が大勢来てくれた。うれしいね。

 平成18年(2006)むつき(1月)13日(金)

 フロンティア3000研究会の前に、NHK神戸の「震災メッセージ」収録。
 5分のメッセージインタビューだが、1時間半かかった。11年目を迎える前日、16日の夜に放送されるそうだ。
被災者のみんなに、これからどうしていったらいいのかアドバイスを、といわれても、私にはわからない。しかし、戦争で焼け野原になっても生き残った人間はなんとか生きてきたのだ。そうしてこれだけの高度成長を遂げた。私だって生きて来られたのだから、みんなだってなんとかするさ。人間の力は、捨てたものではない。しかし、それにつけても、構造捏造はけしからん。阪神大震災の教訓を全く生かそうとしていないのだから! 死亡原因の大半、建物崩壊による圧死だったのだから。