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 平成14年(2002)みなづき28日

 27日、第55回日本推理作家協会賞を山田正紀が「ミステリ・オペラ」で受賞した。マチャキの受賞となれば、出席しなければ、とはるばる大阪から東京の新橋第一ホテルまで行った。長老ということで、乾杯の挨拶をさせられた。このところ、あまり酒がうまくないので、アルコールが入る前に挨拶をしたせいか「久しぶりに、小松さんのいい挨拶をききました」などと、光文社の古手編集者にいわれてしまった。二次会までのつなぎに、いつものピアノ・バーで「モナリサ」など、 50年代のスタンダード・ポップスを歌い、ワインハウスへ。なんと、三階までエレベータのない店だが、そこへはSF作家クラブのメンバーが大勢集まって、久しぶりに、元気な息吹に触れた。良い会だった。マチャキも、死ななくて良かったね。

 平成14年(2002)みなづき21日

 実は今週の月曜日、17日に、私は初恋の人と60年ぶりの再会を果たした。
 今年の一月に私が学生時代に描いた漫画を集めた「幻のモリ・ミノル漫画全集」(小学館)を発刊したが、そのペンネームの由来である「森」さんである。小学校1年の1学期だけいっしょだったひと。その後、(旧制)神戸一中と県立一女で、一度だけすれ違ったことがあるが、遠くから仰ぐだけだった。その彼女から電話がかかったのである。「モリ・ミノル漫画全集」をみた彼女の友人からモリ・ミノルが小松実であることを知らされ、しかも自分の名前が密かに使われていたということを知ったのだ。
 60年ぶりの「デート」のことは、いずれゆっくり語るつもりだ。しかし、何とも良いものであったことだけは、明言しておく。

 平成14年(2002)水無月(6月)12日 

 先月末、ようやくUSJ(ユニバーサルスタジオ・ジャパン)に行ってきた。左右にスケさん、カクさんならぬ女房とオニ秘書を従え、車椅子を借りてストリートを押してもらって移動。楽ちん楽ちん。楽隊の生演奏の所では、歩いていって、いっしょに音楽に合わせて踊った。アトラクションには入らなかったが、4月末にオープンしたばかりの日航ホテルから入り口までがすでにアメリカ西海岸の雰囲気で、そこを歩いているうちからワクワクしてくる。ゲートを入る前に、すでに映画の世界に入っているような気になるのだ。平日の夕方のせいか、それほど人混みが多くなく、真っ青な空の下、実に気持ちよかった。
 ホテルの最上階32階のレストランからは、美しい夕日をみることができる。反対側のバーからはきれいになった護岸と此花区の町並み、淀川にかかる橋々が見える。USJの客しか来ないのかも知れないが、この景色を見に来るだけでも価値があると思う。
 その翌週。なんと、私は女房とオニ秘書の計略に乗せられて、病院に検査に行ったのだ!どこが悪いというのではなく、4年前に白内障の手術をして以来まったくチェックをしていないので、右の視力が落ちていることにかこつけて、他も調べておけ、ということだ。血液検査、胸のCT、腹のエコー、頭のMRI、眼底検査、等々。朝8時45分から夜6時まで、レーザー手術もして検査結果の診断まで、一日で済ませてくれた。血液検査の結果は、後日女房がきいてきたが、特に問題はないそうだ。身体は「お丈夫」にできているようだ。鬱病がこのところ躁状態で、やたら電話したり出かけたりしているので、女房は気が気じゃないという顔をしている。