平成14年(2002)皐月13日
10日、大阪で毎月第二金曜日におこなっているフロンティア3000研究会。今月は、昭和22年に創刊した同人誌「VIKING」をめぐる関西の文人活動について、京大時代の友人で作家の福田紀一に話してもらった。関西といっても、京都と大阪では、文学についての扱いがちがう。大阪では「文学をやっている」ということは「恥ずかしいこと」なので出来るだけ知られないようにしていた。しかし、人を面白がらせることは「ええこと」なんや。そして「なんぼのもんや」というように、金になることは「ええこと」なんやな。だから富士正晴さんは、金にならなくて人にとやかく言われんで自分の「文学」をやるために同人誌を作ったわけや。
11日、中津川に行った。近藤サトさんを相手に、人類文明の歴史の中で首都とは何か、これからもとめられる首都像についてトークした。美人を前にすると、サービス精神が旺盛になって、いつも以上に話が広がり、予定時間をオーバーしてしまい、サトさんをハラハラさせたようだ。お詫びに、Wカップ仕様のおまけ付きグリコをプレゼントした。
12日は、マーキー(森本雅樹)の古希を祝うパーティはパスして、夜、ギン公(古吟勲一)の画集出版パーティに発起人として出席。桑原征平の司会で桂米朝、石毛直道、俵萌子、イーデス・ハンソン、小米朝、桂南光、ざこば、ジミー・大西はじめ、そうそうたる人たちが250人以上も集まった。ざっくばらんな、なんの利害もない友人ばかりの集まりだったので、実に楽しかった。二次会は久しぶりに「ハイ、土曜日です」の同窓会になった。
平成14年(2002)さつき(5月)1日
ゴールデン・ウィーク。私も4月29日、昔は天長節といっていた日に『小松左京マガジン』会員と瀬戸内バスツァーにでかけた。せとうち児島ホテルに一泊、翌日、瀬戸大橋、鳴門大橋、明石大橋を渡って、新神戸で解散、という旅程だ。
岡山から「しおかぜ」17号に乗って児島15時41分着。車で来た人も含めて、13名集合。3台の車に分乗して、鷲羽山に登る。展望台から瀬戸大橋を見下ろし、その後下津井公園に行って、真下から見上げた。
ホテルにチェックインして部屋に荷物をおいたら、すぐ最上階9階のバーへ。瀬戸大橋を見渡せるカウンター席に着き、迷わずドライマティニを注文。もちろん、鬼秘書の刺すようなまなざしを振り切ってである。このような人類の巨大なテクノロジーの産物を目の前にしてわき起こる興奮を、アルコールなしに受け止めるわけにはいかない。しかも、ドライマティニでなくてはならない。鬼秘書がなんといおうが、そうなのだ。
といって我を通し、2杯のマティニを空けた。秘書の顔はプンプクプンにふくれたあと、「後どうなったって知りませんよ」という冷淡な表情になり、勝手に瀬戸内海のたそがれに感嘆しながら、がぶがぶビールを飲みはじめた。こうなると怖いが、これが飲まずにいられるかってんだ。
てな具合で、結局、ロイヤルスウィートの部屋にみんなが集まって夕食前にいいちこを一杯、宴会では日本酒を二本、また部屋に戻って明け方3時半までわいわいしゃべりながら日本酒一升瓶の半分以上を飲んでしまったようだ。何だか、やたらに叱られながらもベッドに入って寝てしまったことをおぼえている。
翌朝は案の定腹具合が悪くはあったが、まだ残っている酒のせいか気分はすこぶる良い。近畿タクシーのバスで瀬戸大橋を渡り、高松の栗林公園へ。そこの白壁塗りのきれいな公衆便所に駆け込む。それがなんと和式だったのが、運の尽き(掛詞になっているなぁ)。膝が弱っているので、立ち上がれなくなってしまったのだ。う〜ん、困った、と脂汗を流していると、鬼秘書が「大丈夫ですか」、と声をかけてくれた。これぞ、地獄に仏、鬼の顔に念仏。細かいことはとても恥ずかしくて言えないが、とにかく男手を連れてきて、助け出してくれた。
いやはや、やはり深酒のたたり、自業自得と秘書は同情することなく冷たく突き放す。「深酒は良くないけど、朝酒はいいんだ」といったら、オニは怒りを通り越して、まったく救いようがない、という顔をして天を仰いだ。我ながら、懲りない男だと思うよ。