平成12年ふみづき(7月)下旬

書斎で転び、右脇腹を打つ。あまりの痛さに自力で起きあがれず、女房を呼ぶが、日頃のもっともらしい大声の寝言でまどわされているので、なかなか来てくれぬ。「狼少年」と同じ。ああ情けなや、と思うているうちにようやっと女房気づき、「アラ大変」と助けおこそうとしてくれるが、力の入らぬ身体は意外に重く持ち上がらぬ。しばし床の上にて横になりながら、転んだおりに擦りむいた傷の消毒に悲鳴を上げ、湿布薬を貼ってもらって一息つく。それでも、浮き世の義理は果たさねばならず、ほとほと生きているのがイヤになった、と口走ると、鬼秘書すかさず「そう簡単に死ねるものではありません。根がお丈夫なのですから。」とほざく。よほど前世で悪いことをしたのか、業が深いなぁ。トホホ・・・。

 平成12年ふみづき(七月)十二日

ミス日本第一号、絶世の美女、山本富士子サマとお会いしましたぞ! 「Yomiuri Weekly」で連載している『威風堂々うかれ昭和史』のための対談である。前日から興奮してよく眠れず、昼食を食べることもできず、ネクタイをまっすぐにむすんで、ニューオータニに向かう。同年、といっても山本さんは12月生なので11ヶ月若いのであるが、とてもそうは見えぬ、ずっとずっとお若く、麗しく、華やかで、かつしとやかな美しい方であった。
事務所に帰って、幸せな思いでいっぱいであったが、ソファに座ると同時に、がっくりと疲れがでた。よほど緊張していたらしい。つい軽口をいって失礼なことを言わないか、と自らを押さえるのに、疲れたのではないかと分析する。「そのくらいの緊張感をたまにはお持ちになった方が、よろしいですわよ」、と伸びきったゴムのような私の日常に対する嫌みのように、鬼秘書はのたもうた。 

 平成12年ふみづき(七月)

先月の末に「恐竜文化賞」の最終選考会のために、勝山に行って来た。正直に言うと、あまり気がすすまかなった。なぜなら、すごい数の作品を見なければならないからだ。絵本は197作、全部をその場で見て選考していく。絵めーるは、4501作品から残った61作品を見て、大賞と優秀賞を決める。童話は、1048作品から最終に残った32篇から、大賞、優秀賞、入賞を決める。しかし、ヒサクニヒコさんをはじめ、選考委員の方たちは、5年前と同じで、皆気持ちのいい方たちなので、彼らに「あいたい」という一心で勝山に赴いた。
 結局、選考会はとてもしんどかったが、楽しいひとときを過ごすことができ、幸せな気分で「スーパー雷鳥」に乗って帰ってきた。
「恐竜」が、もはや「キリン」や「象」などと同じように、私たちの感覚の中に入ってきて、私たちの「心」を表現する「文化」として定着してきたような気がする。


(前月へ)