朝日新聞大阪版 平成22年(2010年)11月13日(土)夕刊 文化欄 テーブルトーク
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そのときの、驚きとうれしさが忘れられない。
10年前、マネジャーとして支えてきた作家小松左京さんが、ふとつぶやいた。「若い時みたいな同人誌、やりたいなぁ」。阪神大震災のあと、小松さんはうつ病になり、ふさぎ込む日々が続いていた。その人物から聞く、久々の前向きな思いである。
「何としてもこれは実現せねば」と落語家桂米朝さんら創設同人を募り、2001年1月、季刊「小松左京マガジン」を刊行した。年明けで40号の節目を迎える。96ページと手頃な厚みだが内容は多彩。本人によるインタビューや「『復活の日』から読み解くバイオロジー」といった専門記事……当初約90人だった維持・購読会員数は今、4倍に増えた。
小松さんとの出会いは約30年前。自身が学習院大で加藤秀俊さんの秘書だった頃、日本未来学会で一緒になった。かねてから時空を越えた壮大な作品にふれ、「こんな小説があるのか」と尊敬の念を抱いていた。
ところが、会ってみると「パンパンに太った、冗談ばっかり言うおっさん」。ちっとも偉ぶらず、オトベチャンと呼びかけてくる。科学や人間性への深い洞察力を持ち、しかも優しい。そんな人柄にほれた。1981年、小松さんが東京に事務所を構えた時、マネジャーになった。
この20年ほど小松さんは、本業の小説を描いていない。だが、既刊本は小説やエッセーなどをあわせ100冊を超える。「もう十分すぎるほど働いた」と無理をさせぬよう心を砕いてきた。「マガジン」も次号でやめようか、と思ったこともある。
しかし「小松もまだ元気で、好奇心を失っていない。続けられる限り、やらなきゃ」と思い返す。マガジンの発行で、30代の作家、評論家にもその魅力が伝わり、近頃、若い世代からの寄稿が相次ぐ。それが、またうれしい。(木元健二)