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 平成18年(2006)霜月(11月)28日(火)

 さて、今日はイオの25周年と私の作家生活45周年、全集刊行開始、等々いろいろなことをいっぺんに祝おうというパーティを九段会館の鳳凰の間でおこなった。松本零士さんの乾杯挨拶、筒井康隆さんの抱腹スピーチ、樋口敬二さんの割り込みスピーチ、嘉門達夫の「あったら怖いセレナーデ」、広美ちゃんの「会議は踊る」の歌は私も一緒に歌った。定員をオーバーしたお客様を廊下やロビーも使って何とか対応していたが、何十年ぶりかでお会いする方も多く、懐かしく嬉しかった。来た方同士も同窓会のような和やかさで、温かいよい会だった。

 平成18年(2006)しもつき(11月)27日(月)

 来年の4月に岩波書店の『文学』と紀伊国屋書店で、「人間にとって文学とは何か」という大きなテーマでシンポジウムをやることが決まったとのこと。瀬名秀明さん、スーザン・ネイピアさん、そして巽孝之君の進行で私も参加する。新宿のサザンホールで一般公開し、『文学』誌面でも特集を組み、8月のワールドSFコンベンションに間に合わせるという企画だ。さて大変なことになったが、若い人たちに考えてもらうとしよう。

 平成18年(2006)霜月(11月)26日(日)

 科学技術振興機構が主催する「サイエンス・アゴラ」という、サイエンスを多くの人に身近なものにするためのイベントが3日間お台場の科学未来館と国際交流会館で行われた。その中の一つに、「SFによる科学コミュニケーション―『日本沈没』を題材に」というセッションがあり、パネラーとして呼ばれた。33年前の「日本沈没」を読んだり見たりした人の中から、地質学者や地震学者になった人が多いとのこと。竹内均先生からも、地球物理学の学生が急に増えたとは聞いていた。「復活の日」を読んで医者になった人もいるそうだ。私としては嬉しいことだが、私自身は「科学」の発見や「技術」の開発によって知的刺激を受けて興奮し、楽しんでいる側なのである。子供は誰でも、知的刺激を受ければ喜ぶものではないだろうか。テストのための勉強というのとは、また別である。
 聞きに来てくれたコマケンの中から、何人かは事務所にも来てくれて、つきあってくれた。有り難い。

 平成18年(2006)しもつき(11月)24日(金)

 4金会の前に、『池田文庫』のインタビューを受ける。池田文庫というのは、阪急宝塚線沿線の池田市にある、小林一三さんのコレクションなどをまとめた図書館で、宝塚歌劇の台本やポスターなど関係資料はもちろん、貴重な図書、美術品もあるらしい。私は子供の頃は夙川、今津に住んでおり、神戸一中に通っていたので、昔の話を聞きたいとのことだった。宝塚のレビューは、子供心に胸躍らせたこともあるし、小林一三さんの「大衆」の動きをキャッチする鋭くモダンな感覚には感心していたので、「池田文庫」の存在は知っていた。掲載誌は、4月に刊行されるそうだ。

 平成18年(2006)霜月(11月)17日(金)

 午前中は、11/26のサイエンス・アゴラの司会進行役の女性が来て打ち合わせ。京都大学の教授である。午後は、毎日小学生新聞が70周年になるというので、取材を受けた。戦争中は少国民新聞といっていたが、昭和16年の「火」という北村小松さんの連載小説で、私は「原爆」という名前を知ったのである。
 夕方、木下先生が来て診療。夜は3金会でホテルニューオータニへ。

 平成18年(2006)しもつき(11月)16日(木)

 久しぶりにオータニの地下の散髪屋に行く。今月の末には、いろいろと行事があるので、さすがに行かなければと観念して行くと、剃刀も当ててくれてさっぱりした。しかし、やはり疲れてしまい、夜に銀座に行く元気はなくなってしまった。

 平成18年(2006)霜月(11月)10日(金)

 今月のフロンティア3000研究会は、高田公理に「嗜好品の人類文明史」という話を、サントリービルの一階にあるパブの個室でしてもらった。肥後橋のセンチュリークラブがなくなって以来、千里クラブで行っているのだが、たまには都心にでてくるのも悪くない。酒やたばこの話をするには、ふさわしい場所ともいえるだろう。イギリスのチューダー式の書斎を模していて、革表紙の本が並んだ書架の壁紙で雰囲気は重厚。酒もたばこも飲み放題だ。お茶も含めて、元々は「薬効」なり社会的なコミュニケーション効果を持っていたものが、現在では「健康に悪い」といってどこでも「禁煙」になっているのは、どうしてなんだ? 生きていること自体が一番身体に悪いことなのに。身体に悪いことばかりしている私は、それでも75歳まで生きている。