平成15年如月(2月)28日
毎月第四金曜日に千里クラブで集まっている「四金会」で、今回、珍しく若い人が来ていた。三島浩司といって、今度第四回SF新人賞を受賞したのだという。
3月7日に、東京會舘で授賞式があり、私も出席することになっている。どうして、と聞いたら、私の古くからの友人で関電からいまは大阪空港ビルディングの社長をしている岡澤君の近所で家族同士のつき合いをしていて、今日誘ってもらったとのこと。33歳の若者で、やはり会社を辞めて書きはじめ、何度か応募したが駄目で、今度は狙い定めて書いて当たった、ということらしい。今回の授賞式は、知らないひとばかりだなぁと思っていたので、三島君に事前に会えて、よかった。不思議な縁があるものだ。
平成15年如月(2月)20日
ロッキング・オンから季刊ででている雑誌『SIGHT』で、手塚治虫特集を組むそうで、インタビューを受けた。今年の4月7日が鉄腕アトムの誕生日ということになっているので、あちこちで取りあげられているが、今度は、手塚さんのあまりいままで語られてこなかった暗黒面にスポットを当てるとのことだ。
生前、手塚さんとはたびたび対談をしているが、いつも馬鹿話ばかりしていて、こんな事が役に立つのかと思っていたが、インタビュアーの渋谷さんに言わせると、私と会っているときがいちばんリラックスしているように見える、とのこと。阪神間に生まれ育って、似たような境遇だったこともあるかもしれない。
いずれにしても、この年に手塚さんがいないということが、残念だ。
平成15年きさらぎ(2月)14日
1月末に、映画「さよならジュピター」DVD版の本編に副音声を収録した。
久しぶりに橋本幸治監督、川北紘一特技監督、原一民カメラマンと会い、映画を見ながらおしゃべりをするわけだが、なつかしかったなぁ。我ながら、よくあんなことをやったものだと思うよ。翌日は、イオ版メイキングの副音声を「クンタキンテ」達が録音するというので、のぞきに行った。というより、何を彼らがしゃべるか、聞きたかったのだ。「監視に来た〜」などといっていたが、そんなわけではないのだよ。井口健二君がブレーン・ストーミングから立ち会ってくれているので、その頃の話から始めて、イオでのプレ・プロダクションの話、撮影が始まってからは櫻井のおけいがフォローしてくれた。20年前だからね。彼らがみんな立派になって、一級建築士やテレビのディレクター、専門学校の先生、映画俳優になった人もいるらしい。
あんな滅茶苦茶なことをさせたのに、その経験を栄養にしてくれたことが、何よりも嬉しかった。