平成13年霜月(11月)14日       (前月へ)
 
 さいとう・たかをさんと対談した。恥ずかしながら、「モリ・ミノル漫画全集」が来年1月末に出るので、その第4巻に掲載する。また、ビッグ・コミックにも載る予定だ。赤本時代の話を伺った。彼は私より5歳年下だが、色々な仕事で社会勉強をして17歳で一人前の漫画家になったというだけに、ストーリーの組み立てがしっかりしている。読者のマーケティングもきちんとして、「お客様」を喜ばす「ツボ」を心得ている人だ。それを自分でも意識的にしてきたのだ、ということを今日、確認した。それにしても、日の丸文庫で私の漫画をみたといっていたのには、冷や汗ものだった。

 平成13年霜月(11月)13日

 スーパーカミオカンデの光電子増倍管が大量に破損したとのこと。いったいどうしてそんなことになったのかわからないが、直径40センチもの手吹きガラスの増倍管が1万1146個もあったのだ。何らかの加減で、一個ぐらいひずみが出たのかもしれない。しかし、あわてることはない。ニュートリノは逃げやしないのだから。「めげずにがんばってほしい」と戸塚洋二先生にメールを送った。

 平成13年しもつき(11月)10日

 8日、山梨のリニアモーターカー実験線に試乗してきた。
 前日、新宿からあずさ59号に乗って大月まで行き、車で富士吉田のホテル・ハイランドリゾートについたのは、午後3時。富士山を目の前に臨むすばらしいホテル。アコモデーションもインテリアのセンスもなかなかいい。レストランが開く5時まで、最上階12階のカクテルラウンジ「ル・ミストラス」で、シェリーを一杯。一方の窓は富士山が正面にめいっぱい広がり、もう一方は富士急ハイランドの観覧車が見える。お客は我々三人だけで、貸し切り状態だ。6日に大阪から東京に来るときにも、久しぶりに真っ青に晴れた空に雲一つない富士の姿を見て、感動してきたところ。しかし、ここからの富士山は、すそ野から頂上までをすべて見せている。その稜線をたどると宇宙へとつながっているように見え、リニアモーター・カタパルトを第一段ロケットのかわりに使ったら、という「妄想」をさらに強くした。
 8日の朝6時半に目を覚まして外を見ると、富士山がくっきりと見える。雲は懸かっていない。しかし、9時に出発するときには三重の笠をかぶっていた。これは珍しいことだという。例年より遅いという紅葉を見ながら、車でリニア実験センターに向かう。
 富士吉田の街は人口5万人。吉田の殿様がおさめていて、お城もあるそうだ。「観光になるようなところじゃありませんが」とは、タクシーの運ちゃんの弁。商店街も「シャッター通り」と呼ばれるほど、駅前の大型店ができてからはシャッターの下りた店が多いとのこと。
 

 実験センターは、見学センターと隣接していて、タクシーだとたいてい見学センターの方でおろされてしまう。我々も例に漏れず、外の崖道を下りて実験センターまで歩かされた。
 事前説明を受けた後(といっても、ほとんど私が質問責めにしていた観があるが)、リニアに搭乗。飛行機の搭乗口のようなところから乗る。磁気シールドのため、ホームと走行レーンを隔離しているらしい。車内は在来の新幹線より一回り小さく、座席は4席。しかし、荷物の棚や前の座席の背からテーブルが出たり、リクライニングになったり、お姉さんがおしぼりを配ってくれたり、いつでも「お客」を乗せられるような仕様になっている。私はテーブルを出して待っていたが、「お飲物」のサーブはなかった。
 300キロ、450キロ、400キロと体験したが、それほど高速感はない。100キロまではゴムの支持脚を出して走行し、100キロ以上になると支持脚が中に収まって10センチ浮上した状態で走行する。支持脚の方が4センチほど高いので、浮上したとき、逆に沈み込むといわれたが、よくわからなかった。90秒で450キロになるという加速度も、それほど感じないで、「のぞみ」のような大きな横揺れはない。小刻みな振動はあるが、これは超伝導推進磁石の設置ムラのせいらしい。。車外のビデオカメラが映す映像と、どんどん変わる速度表示の数字によって、かろうじて自分の移動状態を認識できる。窓があってもほとんどトンネルなので、外の景色との相対観はもてない。しかし、あとで指令センターから300キロ走行と、450キロ走行を外から見たときに、そのスピードを実感することができた。300キロだと目で追うことができたが、450キロになると、あっという間に通り過ぎてしまった。3両編成だから、全長80.3メートル。秒速125メートルだから、1秒足らずだったわけだ。300キロだと秒速83メートルだから、何とか1〜2秒は見ていられる。この差は大きい。300キロがいやに遅く感ずるのだ。
 とにかく、実際に乗った感想としては、これは、いつでも実用化できるということだ。東京と大阪が一時間で結ばれるということの意味は、戦後だけでも、特急で7時間半かかっていたのが新幹線で3時間になったことによって、どれだけ大きな恩恵をもたらしたかを考えてもわかる。

 夜の懇談会で、私はしつこくリニアモーター技術を宇宙ロケットの第一段ロケットに使えないか、ということを聞いたのだが、鉄道屋さんにとっては、あまり考えたことのない世界のようだった。しかし、その技術はもっと広い可能性の中で考えるべきだと思う。

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