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☆ 「世界」と「自己」との関係が順調に「発見」されない時、ヒトは不安定な状態にいつまでもとどまる。「世界」と「自己」を、「自己の内面的体験」として発見できない人間は、「おとなになりそこねる」のだ。「おとなの世界」を発見できないと、「おとな」になれない。(中略)私たち人類は、歴史的に、この「おとなになれない」不安定状態を自ら再生産し、フラストレーションの自己増殖をおこなう事によって、この途方もない、貪婪で、飽く事を知らない、汗くさく、アドレナリンくさい「進歩」の文明を作り出してきたのかも知れないのだ。(中略)「世界の有限性」が、私たちの行動の「基礎条件」になりつつある時代において、人類文明の次代の指標が、「動的安定」であるなら、私たちは、私たちの社会が無意識にかきたてつづけ、私たちがまた無意識にかきたてられつつある「未熟な動揺=永遠の自己肥大化」の構造を見きわめ、それを「抑圧」でなく「制御」する知恵をマスターすべきである。
   
〈「探検の構造」より〉

☆ 長い長い年月、ほとんど人生の半分以上にわたって、魂の表面にこびりつき、硬い甲羅か、鎧みたいになってしまった職業的な垢が、ゆっくりとはげおちていくと、その下からみずみずしくやわらかな疲労が蛹からかえったばかりの蝶のように姿をあらわした。(中略) 自分の人生に気がついた瞬間から――自分自身のために生きはじめる。それは、自分の死のために生きはじめることであり、その時はじめて、人は世界と自分の人生を外から眺めることができるようになる。するとその瞬間から宇宙は、そのかくしていたやさしさを、人にむかって開いてみせるのだ。
  
〈「SOS印の特製ワイン」より〉

☆ そんなことなら、日本はもっと大きな犠牲を払っても、歴史の固い底から、もっと確実なものをつかみあげるべきだった。〈中略〉国家がほろびたら、その向こうから、全地上的連帯性をになうべき、新しい”人間”が生まれてきただろう。
  
〈「地には平和を」キタ博士の言葉〉

☆ 人間の対しているこの世界のさまざまな現象の中には、「物語」の形によってしか表現できないある「相」があり、「物語性」とは、認識の一形式である。
(一部省略しました)
    <「SFと歴史小説」>

☆ この宇宙は正義か?
    <「結晶星団」より>

☆ 宇宙よ……しっかりやれ!
 そんな言葉が、突然胸の底にうかんだ。−−と、ふいに何百億光年もの直径をもつ、巨大な宇宙が、ひどく親しいもののように感じられた。−−巨大で、無骨で、不細工で−−途方もない浪費と、途方もない試行錯誤をくりかえしながら、一歩一歩それ自身の“進化”のコースを、手さぐりで進んでいる宇宙……『宇宙は神の卵』か! 彼は思わずクスッと笑った。
  
<「神への長い道」より>

☆ はるかに過去からうけつがれた、人間の自由で、いきいきした遊びの心と、エネルギッシュな冒険心と、みずみずしい直感力から構成されている「文学の魂」とを信ずるが故に、SFは、この人類の科学技術文明の画期的な大発展時代、高次情報社会への移行の時代に対して、文学自体が「適応」しようとしている形ではないかという気がするのです。
   
<「新・SFアトランダム」『未来からの声』所収>

☆ 「意識」という何ものにも還元できない事実の内面的構造の一般的探究を通じて「意識における未来の構造」を、より一般化した形で解明することは、これからの人間論にとって、重要な意味を持つのではないかと思われる。
 そして、この「意識」の分野も含めて、近年における人類とそのバック・グラウンドについての科学的情報の蓄積は、人類の宇宙における客観的な姿とその位置についての全体像を描き出すことをようやく可能にしつつあり、その認識の上に立って、みずからの未来を総体的に問うことのできる時期にわれわれがさしかかりつつあることはたしかなのである。
  
<「未来の思想」あとがき>

☆ 廃墟が私の中に生きつづけているのではなくて、私の方が―すくなくとも私の一部が、その歴史の裂け目、時の流れの断層の中、時間のない絶対空間、廃墟空間におちこんでしまって、そこにずっとすみついているのかも知れない。
  
<「廃墟の空間文明」『未来図の世界』所収>

☆ 身は一かけの星屑と化しながら、なお無限と虚無と永遠と知りあうことに、はげしいよろこびを感ずるのだった。
  
<「果しなき流れの果に」の野々村>

☆ 彼は京大紛争のあと「われわれは3度負けた」と言った。それは私が10年前、対話叢書の予告篇の惹句に「われわれは2度負けた」と書いたことをふまえているのだろうが、10年前、私もまちがっていたが、彼もまちがっている。私は一度しか負けていない。敗戦について、私は責任はないのだし、戦いに「主体的に」参加していないのだから、負けようがない。私は二十五年問題で観念の敗北を喫し、卒業後人生の敗北を経験した。これは「敗戦」と「戦後」に相当する。彼の場合、3度目と言ったのが、彼にとっての最初の真の敗北だ。人生を変容させるような敗北は、そう数多くあるものではない。敗北が何だろう? その向こうに新たな生がはじまる。よりたしかな、よりしたたかな、「大事なもの」と「馬鹿馬鹿しい事」、「できる事」と「できない事」のはっきり区別された人生が。
  <小松左京編「高橋和巳の青春とその時代」から「『内部の友』とその死」より>

☆ 悲惨でない歴史があるか?問題はその悲惨さを通じて、人類が何をかち得るかという事だ。

    <「地には平和を」キタ博士の言葉>

☆ 老人は、咳をした。「もう一つ、聞きたいことがある。――科学者にとって、一番大切なことは何かな?」
「カンです」言下に田所博士は答えた。

   <「日本沈没」第2章東京より渡老人と田所博士との会話>

☆ 少年たちの交際は、残酷なものである。だが、この残酷さを通じて、男の子たちは、自衛と、男同士のつきあい方と自分自身の行動原理を見つけて行く。
   
<「やぶれかぶれ青春記」>

☆ 文明が押し進められるにつれ、何もかもが入りまざっていく。種族も年代も。歴史の歩みは確実によりいっそう大きな混沌へと向かって突き進んでいくようであり、いまでは人はそこに新たな秩序を見い出そうとする困難な努力を放棄したかのように見える。
    <「易仙逃里記」最後の判事>

☆ 人類は完全じゃない。
   <「継ぐのは誰か?」>

☆ 科学技術文明と精神文明の跛行性は、人類にとって致命的な不運でした。・・・―科学技術の、 仏教的応用などということは、ついに考えてもみなかったのですから・・・
   <「人類裁判」シャカの言葉>

☆ 人類は、自分自身に与えられた知性に、それほどうまく適応しているとは思えない。何となく先が見えてきたという感じですな・・・
   <「神への長い道」>

☆ 現代のSFが大まじめに指向しなければならないのは、本気になって科学と文学の結婚を考え、新しい世界観を形象化し、読者を世界の「総体」にふれるよう導くことだと思うがどうだろうか。
   <「SFのばかばかしさ」『未来図の世界』所収>