第7回小松左京賞最終選考選評
小松左京
今年は最終選考の結果、残念ながら該当者なしとなった。それぞれ一長一短あり、抜きんでて力のあるものがなかった。
昨年と似たような意見となるが、あえて再度問いかけたい。
SF的な発想はこの賞において確かに重要な要素である。が、同時に小説としての面白さ、――人間に対する観察力、愛、ユーモア、詩的なもの、色気――なども包括したエンターテイメントとしての面白さがなければならない。
何十年も昔から私は、インターネットやコンピュータが当たり前の世界になり、人間どうしのコミュニケーション力が落ちたときに、それが人間の感情にどう影響を与えるか、また若者の世代がどう変わるかを考えなければいけないと言ってきた。
ゲームも含めた仮想空間の人間ではなく、痛みや悲しみ、喜びなど現実世界に生きる人間の感情のひだをもっと描くことや、また読者の捕まえ方や引きずり込み方も学んで小説を書いて欲しい。書き手が読み手を意識しなければ、感情移入もできない。そして小説世界に引きずり込んだら最後まで責任を持つことは忘れてはいけない。
来年は、さらなる意欲作に期待したい。
最終候補作品は三作品だった。
伊藤計劃氏の「虐殺器官」は文章力や「虐殺の言語」のアイデアは良かった。ただ肝心の「虐殺の言語」とは何なのかについてもっと触れて欲しかったし、虐殺行為を引き起こしている男の動機や主人公のラストの行動などにおいて説得力、テーマ性に欠けていた。
円城塔氏の「セルフリファレンス・エンジン」は発想は斬新なもので、面白かった。文章力も決して悪くはない。残念なことに構成がわかりづらく、テーマが見えてこないために全く感情移入できなかった。もっと読者を意識して、サービス精神を持って欲しい。
巴耳可里氏の「キャスティング トラップ」は三作品では一番構成力があり、アイデアも良かった。仮想空間での神話世界の再現など非常に面白いところはあったのだが、会話のほとんどが棒読みになっていて、それが感情移入しづらくさせている。もっと文章力に磨きをかけて欲しい。